「寝過ごしてしまわないように。寝ぼけた仕事をしないように」との想いが込められた、ユニークな屋号を持つ老舗煎餅店「ねぼけ堂」。東京・八丈島出身の社長・持丸富士男さんの父親と叔父が創業し、下関、博多、熊本市上通りと移転を重ね、1933年に現在の熊本県八代市に落ち着いたそうだ。「父親は宵越しの金を待たないような豪放磊落な人間で、成功しては豪遊してお金を使ってしまう。最後は、お世話になった人を頼って、この八代に店を構えたんですよね」。しかし、仕事に対しては決して手を抜かない人物だったそうだ。「米が手に入らなかった戦後10年位は、『米以外の偽物の煎餅は焼けん』と遊んでいたそうなんですよ」と持丸さんんは笑う。そして、そんな頑固さは、もちろん持丸さんにも受け継がれている。「煎餅を焼く為には微妙な加減が必要なんですよね。その辺りが機械じゃ出来ないので、機械を入れて煎餅を焼こうとは思っていません」。今の時代、一枚一枚手間暇かけて焼かれる煎餅は少ない。しかし、持丸さんはそれを少しも面倒臭い事とは思っていないそうだ。「当然、今の時代には合わないかもしれませんね。ですから手広くやろうなんて考えていません。今、八代で3店舗あるんですけど、近い将来1店舗にまとめて、特に手焼きを打ち出して行こうかなと考えております」。煎餅と言えども、やはり人が食べるモノ。あ〜でもない、こうでもないと手間と暇をかけて作られた煎餅を、機械で作った煎餅が超えてしまっては、おかしな話になってしまう。「今、この八代辺りにも、東京や京都なんかの大手のお煎餅屋さんが入って来てますから、そこに負けないようにと勝負する為には、やっぱり、お客様の思い出に残るような商品を作らないといかんと思っています。もう欲は卒業したんです」。物質的な欲を卒業し、良いモノを作ろうとする欲を満たす方が、大変だし難しい。しかし、その想いは必ず食べる人に伝わるはず。「手焼きで作ったウチの煎餅は、機械を使った他所の煎餅より、少し値段が高いんですよ。それでもお客さんは買って下さいます。お客さんが買い続けてくれる以上は、この店を続けて行こうと思っています」。そんな持丸さんは、最近、地元・八代の名産品を使ったお菓子作りにも取り組んでいる。「ここ八代は晩白柚とトマトが名産なんですよ。ですから今、その晩白柚とトマトを使ったお菓子を販売しています。他所に無い新しいモノを作る時は、やはりその土地の名産を使う事だと思うし、それが『ねぼけ堂』を支持してくれる地元の人達のへの恩返しにもなりますからね」。
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