匠の蔵~words of meister~の放送

宮古島苧工房【宮古上布 沖縄】 匠:新里玲子さん
2014年02月15日(土)オンエア
飛行機の客室乗務員から苧麻(ちょま)を原料とする麻織物『宮古上布』の世界へと入り40年...。「宮古島を織りたいの」と、宮古島の自然が織りなす鮮やかな色彩とダイナミックな生命力が表現された、現代的でのびやかな作風の『宮古上布』を織り続ける『宮古島苧工房』の新里玲子さん。これまでに日本伝統工芸染織展で『日本経済新聞社賞』、日本伝統工芸展で『激励賞』などを受賞。現在は『宮古上布保持団体』の代表を務め、後進の育成にも尽力する。
「客室乗務員時代に出会ってしまったんですね、『宮古上布』に。そして、自分でも驚くほどの熱い想いにかられて『宮古上布』の工房に入門したのですが、当時は『人頭税』の為に織られていた暗く厳しい過去の歴史が、人々の記憶に刻み込まれていたせいか、多くの人に反対されました。また、工房で織られていたのは伝統的な『紺十字絣』ばかりで、私は徐々に違和感を覚えるようになっていったんですよ」。そうして新里さんは歴史を紐解き、琉球王朝時代の『宮古上布』は大柄な図柄が主流を占め、『紺十字絣』は明治時代に奄美大島から入ってきたことを知る。
「私が覚えた違和感はコレだって思いましたね。私が織りたいのは『宮古上布』であって、『大島紬』ではないんだと。その後、工房を独立して、かつての大らかでのびやかな柄を意識した『宮古上布』を織るようになったのですが、当時は『玲子の織っているのは上布じゃない』なんてことも言われました。私も自己表現さえできれば、『宮古上布』の名前はいらないと思っていたのですが、その時、私自身『宮古上布』の伝統に守られていることを問屋さんに諭されたんですよ。450年以上にも渡り島の人々が築いてきた『宮古上布』のブランドがあるからこそ、私の仕事も続けられると」。それ以来、新里さんは伝承の技の上に『宮古上布』を織るように。
「例えば何回も染め直して生まれる『紺十字絣』の深い藍の色には、白か黒かハッキリした島の人たちの気質が表れているんですよね。ですから私は、そのように伝承されてきた『宮古上布』の伝統を大事にしつつ、しかし、時代を映した『宮古上布』を織るようになったんです」。そんな新里さんが魅了された『宮古上布』の魅力は、今も島のお年寄りたちの手によって積まれている糸にあるという。
「糸との対話とよく言いますが、いまだにこの対話に結構な時間がかかるんですよ。『宮古上布』の糸は、人の手によって積まれているので、様々な糸があるんですよね。そして、そこが一番面白いんですよ。若い頃は糸の個性を、ただ良い悪いで判断していたのですが、今は糸に個性があるからこそ組み合わせによって、『宮古上布』に味わいが生まれると。ですから、人間と同じなんですよね。同じ調子で整えると、平均的で風合いは良くなるのかも知れませんが、何かひと味足りないというか。ですので、例えばヨリが緩い糸と強い糸を合わせたり、糸のクセを逆手に取ったりすると、『宮古上布』に様々な味わいが生まれて、とても面白いんですよね。織りそのモノというより、糸に魅力があり過ぎて、本当に面白い。決して飽きることがないですね」。島の人々の技が結集され、一枚の布となる『宮古上布』。その一本一本の糸に込められた想い、エネルギーは新里さんの手によって、決して工業製品から生まれることのない味わいへと昇華して、宮古島の青空のような眩い光を放っていた。
「すべてが人間の手でできている。特に純粋な形で、島の人の手によって積まれている糸が使われている上布は宮古島にしかないんですよ。ですから本当に糸こそ命、宝ですよね。『宮古上布』は宮古島で生きている人々のエネルギーが紡がれているようなモノですからね。これからもどんどん日本のひとのみならず海外の人にも知ってもらえるよう、頑張っていこうと思っています」。

| 前のページ |


| 前のページ |