宮崎の有名ブランド牛「宮崎牛」を専門に取り扱う宮崎牛第1号指定店「焼肉の幸加園」の代表、長友幸一郎さん。昭和48年に焼肉店の営業を始め、A4、A5クラスの最上級の「宮崎牛」を提供。宮崎キャンプを行うプロ野球選手や宮崎を訪れた有名人たちも足繁く通い、その店内には美味さの証明であるかのような色紙が、壁一面に飾られている。「以前、東京に住んでいた頃の恩師が宮崎に来られることになったので宮崎牛をお出ししたところ、あまり美味しい肉ではなかったんですよね。宮崎は畜産県として全国2位の出荷量を誇りながら、何故、美味しい肉を食べることが出来ないのか調べたところ、地方より都会の方が高い金額で買い取って貰える為、良い肉のすべてが大消費地である東京などの大都会へと出荷されていたんですよね。そのような市場性の関係から、宮崎牛は地元には残されておらず、すべて県外へと流れていたという訳です。折角、地元で良いモノを作っている訳ですから、1人くらいは本物の宮崎牛を出す人間が地元にいてもいいのではないかと考え、焼肉店を立ち上げたという訳です」。その後、昭和61年頃に宮崎県は「宮崎牛」をブランド化。長友さんの店は宮崎牛第1号店の指定を受け、現在に至るという。「本物の宮崎牛を出そうとすれば、やはり金額的にどうしても高くなるので、周囲からは成功するはずがないと言われていました。しかし、やはり良いモノは良いということで、徐々に評価を頂き、今もこうして宮崎牛を一生懸命に取り扱っているという訳です」。そんな長友さんは、「宮崎牛」の仕入れも精肉店に任せることをせず、自らセリに立会い、自らの目で吟味するという。「やはり精肉店が選んだ少ない牛の中から選ぶより、何100頭も牛が揃うセリの中から選ぶ方が、良い肉を仕入れることが出来ると思いますからね。私はお客さんの代理のようなもので、私が不味い肉を仕入れてしまうと、お客さんに迷惑をかけてしまいます。やはり絶えず良いモノを求めて行くという努力を怠る訳にはいきません」。より良い肉を仕入れる技術は、より多くの肉を見て吟味する経験の中でしか磨かれない。そんな現場主義とも言えるポリシーを貫き、68歳となった今でも努力を惜しまず歩み続ける長友さん。そのこだわりは、日本全国の多くのファンの舌を、そして心も満足させている。「店では従業員に必ずノートを付けさせ、全員で情報を共有するようにしています。私も毎日店に顔を出し、お客さんへの挨拶を欠かさないようにするなど、味だけではないサービスを心がけています」。
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