酢飯の上にトロロとウニとイクラ、そして、沖縄の名産品・海ぶどうをたっぷりと乗せた、“海ぶどう丼”を考案した郷土料理店「元祖海ぶどう」の主人・白井敏夫さん。約16年前に神奈川から奥様の故郷・恩納村に移住し、養殖の海ぶどうの味に感動したことから、海ぶどうの名を冠した店をオープンしたと言う。「最初に海ぶどうに出会った時は、“これだよ”“これだよ”という感じで、その旨味と食感に驚きました。私は料理人でしたので、海ぶどうがダイヤモンドの原石のように思えたんですよね」。しかし、その海ぶどう丼の完成までには、試行錯誤の日々が続いたと言う。「当時は、海ぶどうという名前も、単なる店名としか見てもらえないなど、そんなにメジャーな食材ではなく、お客さんがいらしても、4人でツマミ代わりに一杯注文するくらいでした。私は海ぶどうで一番になろうと思っていましたから、なんとか食べる方向に持っていこうということで、丼にしようと考えたんですよね。そして、イクラ丼をヒントに、粘りをさらに強調しようとトロロを加え、コクをさらに出そうとウニを加えてみるなど、試行錯誤を重ねながら、この海ぶどう丼を考案した訳です」。そんな海ぶどう丼は、レモンのポン酢を少しかけて頂くのが白井さんのオススメする流儀。プチプチとした海ぶどうが口の中一杯に弾け、その味もさることながら食感までもが美味い海ぶどう丼だが、白井さんは多くの人から愛されるようになった今でも完成形ではないと言う。「今はまだ、沖縄と日本の食材しか組み合わせていませんので、今後は、さらに色んな外国の食材も組み合わせてみようと考えています。例えば、キャビアであったり、フォアグラであったり未知の食材がたくさんありますね。我々、日本人の感覚で取り扱う食材と、ヨーロッパの西洋人の感覚で取り扱う食材は、まったく違ってくると思うんですよ。ですから、私の作った海ぶどう丼は、単なる原点でしかないと思っています」。沖縄の人でも思いつかなかった非常にシンプルな組み合せを、県外から移住した白井さんが考案し、今では沖縄の名物として愛されている。れだけ沖縄のチャンプルー文化は、何でも取り込む多様性と柔軟性がある。そして、そんな沖縄で生まれた、この海ぶどう丼は、今後も、ありとあらゆる食材を取り込み、進化する可能性を秘めている。「私がここに来た以上は、意地でも妻の故郷である恩納村に名物を作りたかったんですよね。僕が来た当時は何もなかった恩納村ですが、自分は多くの地元の人たちに助けられて今があると思っていますからね」。
| 前のページ |