匠の蔵~words of meister~の放送

尾崎畜産【畜産会社 宮崎】 匠:尾崎宗春さん
2009年04月04日(土)オンエア
宮崎の豊かな自然が広がる牧場で、自らの名前を冠したブランド牛「尾崎牛」を生産する「尾崎畜産」の代表・尾崎宗春さん。若くして父の跡を継ぎ、畜産の勉強をする為に渡米した尾崎さんが、そのアメリカで学んだのは、「日本のやり方を極めれば、世界一の牛肉が作れる」という事。「アメリカでは1万7000頭の大牧場で、最先端の肉牛生産技術を勉強したのですが、それは早く太らせ出荷する大量生産の技術でした。帰国する飛行機の中で私が考えたのは、自分が食べたい牛肉、家族や友人に安心して食べて貰える牛肉を作ろうという事です」。そうして何パターンもの飼料配合を繰り返し、さらに牛にとって最適な環境を求め、何度も牧場を移転するなどして肉牛生産技術を追及した尾崎さん。いつしか「尾崎牛」は、日本のみならず世界各国の料理人からも支持されるようになったそうだ。「タイガー・ウッズはゴルフ、イチローは野球、私は牛肉で世界制覇を目指します」。そんな尾崎さんは、生産する地域の名前がブランドとなる肉牛の世界において、自らの名前で勝負する。「ブランドというのは個人名でなければいけません。グッチでもフェンディでも皆、個人の名前であって、イタリアがブランド名ではありませんからね。作る農家が違って、餌が違って、水が違って、味が違うのに、それがブランドになる事がおかしいと思います。私の『尾崎牛』というのは、15種類の餌のブレンドを守り、肉の味を絶対に変えません。それがお客さんに出来る、責任の所在をはっきりするという事ですからね。ですから、この肉牛の世界は、ブランドを個人名にしない限り、安心、安全が嘘っぱちという事になりますよね」。自分がやった仕事を、「これは自分がやりました」と言える仕事は素晴らしい。しかし、それは全ての責任を自分自身で負うという覚悟も必要となる。尾崎さんの仕事は、逃げない仕事...。そうして、「尾崎牛」を生産する傍ら、自ら「毎日欠かさず『尾崎牛』を食べ歩く」と言う尾崎さん。自らの舌と体で確かめながら肥育される牛の数は、畜産を受け継いだ時の100頭から、現在は1500頭まで増えたと言う。「狂牛病があった昔、皆が牛肉を敬遠していたんですが、子供たちはバクバク食べていたんです。それを見て、牛肉は絶対に回復すると思いました。当時は牛1頭の値段が半分以下に下がり、牛小屋を建てようという人もいないから、建設コストも安くなっていたんです。その時に私が思ったのは、『ああ〜今がビジネスチャンスだ』と。そして、400頭いた牛を倍の800頭に増やしました」。ピンチのせい、不況のせいにするのは簡単だ。しかし、こうやってピンチを逆手にとって、チャンスにしようとしている人は確実にいる。素晴らしい畜産家は、素晴らしいビジネスマンでもあった。

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