匠の蔵~words of meister~の放送

古賀人形【古賀人形 熊本】 匠:小川憲一さん
2011年04月09日(土)オンエア
京都の伏見人形、仙台の提人形と並び、日本三大土人形と称される長崎の古賀人形を製作する小川憲一さん。毎年5月頃に美しい花を咲かせ、「古賀の藤棚」の名で知られる老木の藤棚のある自宅の工房で、長崎の伝統工芸品である古賀人形の火を唯一守り続けている。「古賀人形の歴史を遡ると今から400年前、文禄元年(1592年)に、京都の諸公卿の御用達土器師、常陸之介という人物が長崎を訪れ、小川家3代目の小三郎に土器製造の技術を伝授したことに始まります」。その人形は、独創的な型や現職を取り入れた鮮やかな色使いが特徴で、西洋婦人に阿茶さん、オランダさんなど、長崎で起こった様々なエピソードをベースに生まれたものが数多くある。「古賀人形は現在では100種類近くあり、型入れから彩色まで、すべて手作業で製作しています」。愛らしくも時を感じさせる表情と、素朴で暖かみのある雰囲気に心癒される古賀人形。小川さんは、細かい作業まで数えると20近くある工程の中で、一番難しいのは目描きだと言う。「人形の表情が決まる目は一番難しく、神経を使うところです。昔から型は同じモノを使用し、色も赤色は途中で原料が変わりましたが基本的には同じです。唯一代替わりして変わったことと言えば、目の入れ方かも知れませんね。ですから私は絵付けをする場合、必ず最初に目描きを行うようにしています。最初に行うと失敗しても描き直すことが出来ますからね」。そんな小川さんは、約25年前にサラリーマンから現在の古賀人形職人に転職。18代目の父の技術を盗みながら19代目を継いだと言う。「周囲からは歴史ある古賀人形の19代目という目で見られますが、意外にも仕事の中でプレッシャーや重みなどを感じたことはまったくありません。例えば農業や植木屋さんなどのように、ただ家業を継いだという感覚ですね。もちろん、古賀人形の歴史を途絶えさせることは本意ではありませんが、たまたま家業が人形製作の仕事をしていましたので、それを受け継いだということです。小さい頃から日常の中に人形製作があったからかも知れませんね」。小川さんは伝統を振りかざす訳でもなく、気負うこともない。それはどんな仕事でも一緒と、 ただ日々の仕事をキッチリとこなすことで、結果、古賀人形の伝統の火を守り続けていた。

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