旧大村藩武家屋敷の史跡復元に尽力するなどの功績から「現代の名工」にも選ばれた庭師、「アートグリーン 緑樹苑」の富永和博さん。「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」、つまり“鬼手=高い技術”を持つと共に、“仏心=心を込めて物事にあたりなさい”という仏教の教えだが、富永さんは、「高い技術は、心が入って初めて活きるものです。高慢な心では、その技も宝の持ち腐れになります。自己満足ではなく、自然を生かした“人の心に伝わる庭造り”に努めています」と、この言葉を肝に銘じ、日々、大地というキャンパスに、確かな技術で人々の心を癒す空間を描き続けている。その工房には、庭をイメージする際の詳細な手書きのスケッチが無造作に貼られているが、それは「専門的な図面や大雑把なイメージではなく、お客さんにより納得してもらえる庭を造りたい」という富永さんの想いから生まれたもの。今でこそパソコンを用いて、立体的な完成予想図を見せる手法が流行ってはいるが、昭和50年代前半から、このスケッチを描いているそうだ。その繊細なタッチのスケッチからは、富永さんの突出した感性をも読み取ることが出来る。「造園に限らず感性というのは、その人の生き様、生き方が表れますよね。ただ庭造りに専念しても、なかなか感性というのは高まりませんので、やはり、日々の生活の中で磨きをかけていかなければなりません。ウチにもインターシップの子どもたちが派遣されて来るのですが、そういう子ども達には、『アナタが手に触れるモノ、目に触れるモノは、すべて吸収しなさい。これはイヤだ、アレはイヤだじゃあ駄目。いずれ、それが自分に跳ね返って来るぞ』と教えています。ですから、結局は日頃の積み重ねでしょうね。そうしているウチに、自分なりの持ち味が完成するものだと思います」。そんな富永さんの持ち味は、流れに逆らわない“風が見える庭作り”にある。「私が造るのは、流れに逆らわないような庭です。要するに流行ですね、時流に真っ向から逆らって注文も来ませんので、逆流ではなく流れに沿った庭造りを心掛けています」。そうして多くの顧客の信頼を勝ち取り、かつ魅了する富永さんが造る庭は、そこに暮らす人々と一緒に、日々成長していくと言う。「庭園など観賞用の庭もありますが、ほとんどの庭は生活の一部です。そこに暮らす家族の成長過程に合わせ、庭も変化していくものなんですね。ですから庭は、完成八分といいますか、100%完成させてしまうと駄目なんですよね。あと少しの所で、あえて止めてしまう。その辺りが難しいのですが、ここにもう一本何か植えた方がいいかな〜という感じにしていると、例えば10年後には収まりがよくなっているものなんです」。料理の味付けなどもそうだが、自信がないと、アレもコレもと付け加え、結局、素材の良さを消してしまうことがある。シンプルに仕上げ、あと一歩のところで、残りは年月に委ねる富永さんの余裕...。それは、しっかりとした技術と積み上げられてきた経験からしか生まれて来ないものだろう。「若い頃はどうしても、アレもコレもという想いが強いのですが、熟年になるとシンプルなデザインに魅力を感じるようになりました。しかし、例えばアプローチを造る時に、ただ単調な同じパターンにするのではなく、少し遊び心のあるデザイン的な柄を入れるなど、そういう余裕は出来ますよね」。
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