旧長崎街道の宿場町・港町で、近隣経済圏の交流拠点として栄えた佐賀県嬉野市塩田町。往時を偲ばせる街並みが残り、国の伝統的建造物群保存地区に認定されたこの街には、紙漉き、石工、陶磁器、大工などの職人が数多くおり、「職人のまち塩田」と呼ばれている。そんな「塩田職人組合」の代表で、建築設計士の峰松哲也さんは、塩田に残る職人技を子供達に見せる事で、郷土愛や誇りを育てる活動を行う他、自らも建築士として、美しい町屋の保存に取り組んでいる。「職人の町と言っても、昔はどこにでもありました。ただ塩田には、今も昔ながらの街並みと職人が残っているので、それを大事にしているだけなんです」。そんな峰松さんは、街作りの基本は子供を育てる事だと言う。「子供から大人になっても地域に残る。それが継続的に進んで行く為には、やはり子供達を育てるしかないんです。そして、そういう責任が大人にはあると思います。昔は子供クラブが活発で、私達は大人から育てられたという思い出があります。でも、今はそういう関係が希薄になっていますよね。ですから本当は、大きなエリアで考えるよりも、自分が住んでいる隣保班で考えるべき問題だと思うんですけどね。そうしたら隣の子供にもオジちゃんオバちゃん達が、『こんな遅うまで何しよったか』という話にもなりますよね。やはり、そういう事が一番大事なんじゃないかな〜と思います」。古い物を残すのは難しい。それは形も心も…。形だけじゃなく、心も残っている街に人は集まる。「この街並みを…商店街を考えた時に、この場所に住んでいる人が一番なんですよね。観光客を呼ぶ為だけに、このような活動をやっている訳じゃないですからね。やはり住んで良かったというか、誇れるような街並み…塩田町になればいいな〜と思うんですよね」。そんな峰松さん達は、以前、塩田町のPRビデオを制作したそうだが、「我々の活動は普段の生活の中にある」と、華やかに見せる事を一切排除したそうだ。昔ながらのありのままの日本情緒が残る塩田町…峰松さんの好きな言葉は「自然体」だった。
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