匠の蔵~words of meister~の放送

川上清美陶房【唐津焼 佐賀】 匠:川上清美さん
2015年05月16日(土)オンエア
唐津市の閑静な山間に工房を構える唐津焼作家『川上清美陶房』の川上清美さん。30代で唐津焼の世界に入り、40代で独立した川上さんは時代を超えたモダンを標榜し、朝鮮半島の流れを汲む黒唐津や美濃地方の織部焼の要素を取り入れた織部唐津など、黒を独自の視点で追求した作品を中心に、朝鮮唐津、絵唐津、斑唐津など多彩な作品を創作。その様々な技法を自在に操り生み出された、新しい唐津焼の吐息を感じさせる重厚さと品格を兼ね備えた作品は、日本全国のファンに愛されている。
「唐津焼は後ろに唐津って名前をつけると、どんな焼物も唐津焼にしてしまう柔軟さがあるんですよ。いま日本で唐津焼が一番元気だといわれているんですが、そんな作家たちの自由な発想が生かされる環境が、大きく影響していると思います」。川上さんは東京の大学を卒業後、出版社に就職するが、何か物足りなさを感じ退職。その後、様々なアルバイトを経験する中で、たまたま手に取った焼物の本を見て愛知県の瀬戸窯業訓練校へ入学したという。
「それまでのたうち回っていた自分が、本当にやりたいことを遂に見つけたという感じでね。焼物の世界は僕にとって楽園だったんですよ。そんな焼物の何が好きかと聞かれたら、『何となく』としか答えられないけど、知力と体力が同時に疲れる焼物はバランスのいい仕事だと思います」。最初は本能的に古唐津に惹かれ唐津焼の窯元で修業をするが、何か違和感を覚え、川上さんは当時、日本で一番勢いのあった岡山県備前市の備前焼の窯元で4年間修行。その後、「なぜいま唐津なの?」という周囲の疑問をよそに再び唐津に戻り、田中佐次郎氏に師事した後、1988年に独立したという。
「唐津焼の母体は朝鮮陶磁ですが、そこに美濃焼を融合させて完成したのが唐津焼なんですよ。そして朝鮮陶磁が月光なら美濃焼は陽光なんですよね。そんな対照的な光をもつ唐津焼に僕は、様々な可能性を感じたんです。その後、唐津焼は現在のように備前焼よりも注目される存在になるんですが、それは日本の様々な焼物のイイところを貪欲に吸収しようとする唐津焼の姿勢にあるんでしょうね」。そんな川上さんは焼物の世界で必要とされるモノは、意外にも才能ではないという。
「焼物は総合力でカバーできますから、決して突出した才能がなくてもいいんですよ。スポーツなどでは10代でも天才が現れることがありますが、焼物の世界では決してありえませんからね。結局、失敗が仕事というか、そこから得られる経験の積み重ねが大事ですからね」。失敗は途中で放り投げてしまわない限り失敗ではない。その人間が何をやろうとして失敗したのか、そして、その失敗から何を学び、何を完成させようとしているのか。川上さんは、そういう陶工の想いは必ず作品の中に現れるという。
「人の作品を見ると、その人の気持ちが分かるんですよ。ですから特に若い人の作品を見る時は、僕は上手い下手は見ません。それよりも『コイツ何をやりたがっているんだろうな〜』という部分を見るんですよね。『キレイにまとめているけど、それだけだね〜』という作品と、『コイツ下手だけど、すごく想いが溢れていて、1年後、2年後の作品も見たくなるな〜』と思わせる作品は、確実に後者の方が人を魅了しますからね。もちろんそれは僕らも一緒で、やはり想いを込めなければ人の心を動かす作品は生み出せませんよね。それは手先だけの仕事では絶対に無理ですね」。どんな仕事でも10年も経てばそれなりに、20年、30年となれば、さらにテクニックは磨かれていく。しかし、そんな手先の仕事だけでは生まれない人の心を動かす何かというモノは、テクニックではなく、やはり人の気持ち、想いの中にこそ宿る。
「以前、ラジオを聞いていたら著名なギタリストが『上手いヤツの演奏って、嫌味なんだよね』って言うんです。『イヤらしいテクニックで弾くんだよね』って言ってたんですが、それは僕らの世界も同じで、器用な人は腕自慢になってしまって大概、消えていくんですよね。ですから、やはり腕よりも自分の気持ちを作品に、どう入れられるかっていう部分が大事なんだろうな〜と思います」。そんな川上さんのもとからは、これまで数多くの弟子たちが独立。現在も独立を夢見る弟子たちが修行に励んでいるが、川上さんはそんな弟子たちに、自らが編み出した技術や知識を隠すことはないという。
「普通の窯元では、薬や土の配合などの知識や技術は弟子にも秘密にするモノなんですが、僕はすべてを教えるんですよ。そのヒントとなったのが『ふくや』の明太子なんですよね。『ふくや』の創業者は明太子の特許を取らなかったから、明太子が福岡県の名産品に成長したじゃないですか。ですから閉じ込めるより広げた方が伸びるんだっていう。弟子が新しい土を採ってきたり、新しい薬の調合をしたりすると、僕もビンビン刺激を受けるでしょう。そういう風にお互いが切磋琢磨した方が伸びるんじゃないかという方針でね。ですから一子相伝とかよく聞くけど、その中で伸びるのは外に開くより難しいんじゃないかな〜と思うんですよ」。川上さんがその技術や知識をオープンにする理由。それは、どんなに世間が認めようとも自らが目指す頂きは、未だ遥か遠くにあると信じるから。
「この世界が面白いのは、頂上がすごく遠いところなんですよ。以前、僕の焼物を買って下さったお客さんが『これは川上さんの今までの最高作品だから“頂(いただき)”という銘にして下さい』って言うんですよ。でも僕にとっての頂上は、まだまだ遥か先にありますから、帰って来てから『“頂”は嫌だな〜』と思って、銘を書く時に“麓(ふもと)”って書いたんですよ。山麓の麓ね」。座右の銘に孫子の言葉『虚室生白(がらんとした部屋には、日光が射し込んで、自然と明るくなる。人間も心を空にして何ものにも囚われずにいれば、おのずと真理、真相が分かってくるという思想)』を掲げ、どこまで歩んでも不満足を貫く川上さんの作品は、これからも進化の歩みを止めず、新たな唐津焼の扉を開き、人々を魅了していくことだろう。

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