2013年、フランスで開かれたコーヒー豆の焙煎技術を競う世界大会に、日本代表として出場し、見事、世界一に輝いた焙煎士、後藤直紀さん。福岡市のベッドタウン、大野城市白木原に焙煎用のスタイリッシュな赤い窯を備えた店を構え、世界中より集めた最高級の生豆を世界一の技術で焙煎し、香り高く欠点のない澄んだ味わいが特徴のコーヒーを提供する。
「もともと私はコーヒーとはまったく関係のないイベント会社に勤めていたんですよね。その時代にコーヒーの世界に魅了され、独学でコーヒー豆の焙煎を始めたんですが、東京でコーヒー店巡りをした時に、自分が焼いた豆と、プロが焼いた豆の違いにショックを受けたんですよ。これではまずいと思い、東京の有名店の研究所に通い、浅煎りから深煎りまで36段階を煎り分ける訓練を3年間行いました」。その後、後藤さんは2008年に『豆香洞コーヒー』をオープン。様々な競技会に参加しながら自らの焙煎技術を磨いてきたという。
「技術というのは自分が分かっている所までしか、見えている範囲までしか向上しないんですよね。ですから自分が独学で勉強していた時は、いくら上手くなったと思っても、周りが見えていないので、そこまでしか至らないんですよ。そんな中で競技会などは、自分の至らない所を教えてくれる場所でもあるんですよね。もちろん自分の至らない所を知ればヘコむんですが、それを知れば、それが見えれば、その差を埋めていくことは可能だと思うんですよ。実は、いま自分がすごく充実している、自分が焼きたい豆がすべて焼けている時が一番不安で、ここで自分の技術が止まってしまっているのかなって思うんですよ。ですから世界大会で焼いた豆が、例えば3年後とか5年後とかに、『世界大会で恥ずかしい豆を焼いていたな』と思えるようでありたいと、常に思っていますね」。『井の中の蛙、大海を知らず』という故事があるが、世界という大海で頂点に立ちながらもなお、まだ見ぬ世界があると信じる後藤さん。そのどこまで歩んでも不満足を貫く職人、後藤さんの背中は、『代表作は?』と聞かれ、『ネクスト』と答えたという、かのチャップリンの姿と重なった。
「10年後の自分は、もっと上手く豆が焼けているハズだという、期待を持ちながら仕事をすることは、やりがいにも繋がりますよね。次の自分に期待するというのか、『代表作が次だ』という言葉は、まさにそういうことなんじゃないかなと思いますね」。そんな後藤さんは、コーヒー豆を焼く時に、心に留め置いていることがあるという。
「自分がいま焼いているのは、誰が飲むコーヒーの豆なのかというと、お客様のモノなんですよね。ですから、そこを想像しながら常に焼くようにしています。お客様が、どういう風にコーヒーを淹れているのかというのは、それぞれ違いますよね。コーヒーメーカーで淹れているかも知れないし、朝昼晩、いつ飲んでいるのかもバラバラだし、老若男女、どんな方が飲んでいるかもバラバラだし。そのように自分が焼いている豆が届いている先まで想像すると、すごく世界が広がるんですよ。焙煎って気が弱いと味がブレてしまうなど、結構、性格が出るんですよね。例えば、あと一秒遅く出せば完璧なんだけど、その一秒を過ぎると味が台無しになってしまうっていうポイントがあった時に、その一秒ギリギリまで行ける勇気をくれるというか、助けてくれる所があるんですよ。ですから常に、誰が飲むかということを考えながら焼いていますね」。料理も製品も、何であれ、そのモノが誰の為にあるのかということを想像するのは、モノづくりの根幹をなす部分。しかし、世界一というエゴを捨て、純粋に客のことだけを想う仕事は簡単ではない。そう想えるからこそ、後藤さんは世界一になれたのだろう。
「世界チャンピオンという肩書は、プレッシャーとしてはかなり重いんですよね。ですが世界チャンピオンである前に、私は白木原のコーヒーロースターで、ご近所に住んでいる方のコーヒーを任されているという責任感の方が重いですから。まずは、そっちで頑張っていかないといけないと思っています」。将来、福岡が『コーヒーの街』と呼ばれるようになる為に、これからも「黒子に徹していきたい」と語る後藤さん。その街の中心には‘At coffee lovers' service’をモットーに掲げる後藤さんの姿があることだろう。
| 前のページ |