16世紀のベネチアで発展した『ベネチアンガラス』を代表する伝統技法『レースガラス』を用いた作品を数多く制作する『ガラス工房 ウェルハンズ』の宙吹きガラス作家、井手江里子さん。『薩摩焼』400年の歴史と伝統が今も息づく美山の地で、螺旋の色ガラスが織り成す繊細な模様が特徴の作品をその手から生み出す。「沖縄で見た琉球ガラス職人の技とトロトロに溶けたガラスの美しさに魅了されて、OLを辞めてガラスの世界に飛び込みました。その後、入学した専門学校で師事した先生が『レースガラス』を手がけていたことが縁で、『レースガラス』を用いた作品を作るようになったんですよね」。そんな井手さんは2005年に現在の工房をオープン。店長として支える夫の晃司さんとともに、『見て、触れて、使って楽しい』をコンセプトに宙吹きガラスで様々な作品を制作。ペーパーウェイトやオブジェなどのガラスの中に、まるで糸で編んだかのようなレース棒を閉じ込める。「ガラスと対話するというのか、『ここをこう触ったらどうだろう、もうちょっと吹いてみたらどうだろう...どう?』と言いながら作っているって感じですね。ガラス自体が動く物体ですので、やはり自分の我だけではなく、動くガラスの美しさや自然になろうとする形のキレイさなど、そういうモノを生かしながら自分の作りたい形に近づけていくようにしています」。それはガラスを支配するのではなく、ガラスに手を添えるという感覚に近い。「ガラスの胸を借りて自分は作っていると思っています。ガラスはもともと何もしなくてもキレイなんですよ。ただ固まりをポンと置いただけでもキレイですし。だから、それに自分が手を加えさせてもらっているという感じですね」。1200度もの高温で溶けたガラスに命を吹き込むガラス工芸の世界。その常に流動するガラスに対して、作り手の小さな無理は通用しない。ガラスに畏敬の念をもち、ガラスのなりたい形に手を添えるからこそ、その魅力が最大限に引き出せる。「やはりガラスがどうなりたいかを考え、常に耳を傾けることですね。ガラスが最高に美しくなろうとする瞬間を見逃さずに作ることが、一番、大事だと思います」。レース棒一本を引くのに最低でも1時間はかかるなど、その繊細な作品を完成させるまでに膨大な時間を要する為、手がける作家が少ないという『レースガラス』。しかし、ガラスの美しさに誰よりも魅了された井手さんにとって、その手間暇も愛しく見える。「ガラスが好きですが、これまでやりたいことをやる為に、やりたくないこともたくさんやってきました。だからこそ、いまこのガラス工芸の仕事をやれているんだと思います」。今後は「誰も見たことがないような『レースガラス』を作りたい」という井手さんの座右の銘は『初心を忘れない』という言葉。いつまでも初めてガラスを見た時の感動を忘れずに、そして、ガラスへの感謝の気持ちを忘れずに歩み続ける井手さんの作品は、これからも確実に進化し、見る者の心を魅了し続けることだろう。
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