湯巡りで有名な熊本の黒川温泉の老舗旅館「新明館」。黒川で最も人気のあるこの旅館の「洞窟温泉」は、風呂作りの名人と称される後藤哲夫社長の力作だ。そして、後藤さんは、風呂作りだけではなく街作りの名人でもあった。そんな後藤さんは、温泉地というものは、自分の旅館の事だけを考えていたのでは駄目だと言う。「お客さんに満足度を与える為に一番は大切な事は、街の全体像なんです。いくら自分の旅館が素敵でも、その周辺の満足度がなかったら、お客さんは来んとですよ」。黒川を訪れたことがある人は、あの自然の美しさに驚いたことがあるだろう。しかし、あの訪れた人を癒してくれる自然は、後藤さんたちの手によって作られたものだった。「黒川の場合は、僕たちが作った自然なんです。でも、お客さんが見たら、絶対に前からあった自然にしか見えないんです。木の植え方、草の植え方も、4月頃は何の花が咲く5月頃は何の花が咲くという風に四季的な変化に富むように最初から植えてある訳なんです」。後藤さんはそうする事によってお客さんが何度も黒川を訪れてくれるようになると言う。「黒川温泉で一番生き生きした雰囲気は、3月の終わり頃から新緑の出る頃なんです。そん頃は街中が生き生きしとります。それが紅葉の時期になったら、あそこは紅葉も綺麗やろうからまた来ようってなるんです。その全体像を作る所が、実際難しいんです。個人で風呂を立派にすると安いでしょう。でも、やっぱり全体像をいかに作っていくかが先決問題…」。温泉地のようなエンターテイメントの場所には隙がない事が大切だ。客は、エンターテイメントに隙を見付けると、現実の世界へ引き戻されてしまう。街全体を作り直す事は手間がかかるが、一部分を付け焼刃で取り繕うより、やはり良いモノが出来るし長く持つ。黒川温泉が多くの人に愛されている理由が分かった。
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