熊本市の水前寺公園近郊に建つ『ホテル 熊本テルサ』の総支配人を務める日本料理界の重鎮、土山憲幸さん。土山さんは『熊本県立八代高等学校』卒業後に上京。銀座の料亭を皮切りに、老舗日本料理店『なだ万』での修行を経て、『プリンスホテル』に入社。『赤坂プリンスホテル』の総料理長を始め、宮内庁、迎賓館、総理官邸の日本料理責任者といった要職を歴任した後、2007年に現職に就任。以降、講演や料理開発などを通じ、熊本の農業、水産業、観光業の活性化に取り組むなど、地元、熊本の為に精力的な活動を展開しているという。
「私が老舗料亭で学んだ修行時代の格言のひとつに『老舗はいつも新しい』というのがあります。それは日本の食文化ひとつを見ても明治以降、肉食のタブーがなくなったように、日々の変化に対応できるよう進歩していかなくては、どのような素晴らしい店でも続かないという意味なんですよ。老舗と呼ばれる店は常に新しいことに挑戦しているからこそ、長くお客様に愛され続けているという訳です」。例えばフォアグラやキャビアのような洋食の食材でも、餡かけの出汁でまとめれば立派な和食となるように、料理人は様々な食材と真摯に向き合い、新たな料理を生み出す努力を怠ってはならないという土山さん。しかし、その努力は例えば日本料理の料理人であれば、あくまでも日本料理の基本を押さえた上で行なうべきだという。
「日本料理と外国の料理の違いは何ですか?とよく聞かれるのですが、それは水の文化と油の文化の違いなんですよ。フランス料理やイタリア料理、そして中華料理も油をひかないと調理ができませんが、日本料理は油をひくのではなく出汁を取りますよね。そこが一番違うところなんですよ。またフランス料理などのフォンドヴォーは何時間もかけますが、それはヨーロッパの水が硬水だからなんですよね。日本の水は軟水ですから出汁を取るのに、そんなに時間をかけません。しかし、その出汁のもとになる鰹節などは何日もかけて作っていますよと。そういう基本を押さえた上で新たな料理を作っていかないと、自分が何の料理を作っているのか分からなくなって、徐々に日本料理の原型が崩れていくような気がするんですよ。ですから温故知新ではありませんが、特に日本料理を作るプロの方は、もっと日本の歴史や文化を研究してもらいたいと思います」。狩猟民族である欧米人に比べて、農耕民族である日本人は腸が1.5倍も長いといわれるが、それは穀物を消化する為に何千年もかけて進化した結果だという。故に日本料理というのは、日本人の体に合った料理であるべきと、ただ口に美味しいだけの和食もどきの料理が蔓延する世の中に警鐘を鳴らす土山さん。そんな日本の食の現状を憂い、土山さんは中国で誕生した天と地と人の関係を追求する『五行陰陽説』という思想を生活に取り入れることを推奨しているという。
「春が旬の山菜は、冬に塩分の多い保存食を食べて弱った肝臓をリフレッシュさせる、夏が旬の苦い野菜は暑さで負担のかかった心臓を丈夫にするなど、様々な色をした旬の野菜にはたくさんの効能があるんですが、それは『五行陰陽説』の中の『五色』の野菜を食べると健康になるという教えに繋がっているんですよね。そういう知識があれば季節に合わせたメニューを自分で作れるようになりますよね。また丸い器には四角く、四角い器には丸く料理を盛り付けるとバランスがとれて美味しそうに見えます。そして夏の暑い日に料理を盛る時はガラスの皿などに高く盛ると涼しく、冬の寒い日に料理を盛る時は陶器の皿などに低く盛ると温かく見えます。これも『五行陰陽説』の陰と陽の関係が基本にあるんですよ。ですから、そのように『五行陰陽説』を生活に取り入れれば、料理がより健康に、より美味しく食べられるようになるという訳です」。修行時代はわずか1cm料理の盛り付けを間違えただけで、師匠から頭をハタかれていたと笑う土山さん。そんな盛り付けに限らず『五行陰陽説』を基本に、人の体に優しく五感で食べさせる土山さんの料理は、まさに日本人にとって最高のご馳走だった。
「トンカツも和食ですよね。奥にキャベツを盛り、手前にトンカツを置く盛り付けは、完全に日本庭園や日本画の様式と同じ『山水盛』なんですよ。日本料理というのは山を作って、川を作って、野原を作ってという盛り方をしますからね。ですからこのような基本を押さえた上で、何回も何回も失敗して研究して初めていいモノができるんですね。やはり勉強しないとダメですね。料理に携わる仕事というのは」。最近の一般家庭では多くの人がパソコンで簡単にレシピを調べて作っているが、昔の人はちゃんと自分で食材を見極めた上で、家族の健康を考えた料理を作ってきたと、ユネスコの無形文化遺産に登録され、世界に認められた和食の素晴らしい文化を後世まで伝える為に、様々な活動を行う土山さん。その座右の銘は、人の体を作る源である料理人にふさわしい『誠実』というシンプルな言葉だった。
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