匠の蔵~words of meister~の放送

紅梅園【梅干 宮崎】 匠:徳重文子さん
2009年02月28日(土)オンエア
「東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」。菅原道真が太宰府に左遷される時、別れを惜しんで句に詠んだ事でも知られる梅の花。その実はビタミンとミネラルが豊富で毒消しにも効くと、一昔前までは民間薬でもあった。そんな梅を無農薬・有機栽培で育て、添加物を使用せずに梅干を作る「紅梅園」の徳重文子さん。梅干の母とも呼ばれる徳重さんは、縄文時代の農業と世間が呆れても、昔ながらの梅を追求し続けているのだが、その背景には、自ら虚弱体質に生まれ、子供の頃から梅食品に助けられて来たという想いがあるそうだ。「私は戦時中に多くの特攻隊を見送りました。ですから終戦後に自分達だけ生き残った事に対する罪悪感があったんですよね。そこで特攻兵達の為にも、次の日本を支えていく人の役に立つ仕事をしなければいけないと思い、私の命の恩人でもある梅の栽培を始めたんです。私が子供の頃は、『百姓は商売しちゃならん』と、『人の命を守る仕事だからソロバンを弾くな』と教わりました。そして、そんな仕事に皆が誇りを持っていました。しかし終戦後は、何でも効率を求めるようになり、見た目が綺麗で量が採れるような梅が沢山出回るようになったんですよね。私の梅園では一反で500キロから600キロの梅しか採れませんが、他所では1トンも採れる所があります。そんな梅は中身が詰まっていない水のようなものですからね」。そんな徳重さんだが、最初から梅園の経営がうまくいった訳ではない。「農家の出でもない私が梅園を始めても軌道に乗るはずもなく、最初の頃はクリーニング店や畜産で生計を立てながら、少しずつ前に進んでいったという感じです。この梅園の経営が軌道に乗ったのは、志してから20年も経っていました」。今年80歳を迎えるという徳重さん。その長い人生の中で、梅園が成功するまで様々な事をやって来たが、その全ての作物やサービスを、人一倍真剣に、人一倍頑張ってやって来た結果、不思議と商売として、一つ一つ大きくする事が出来た。やはり結果とは、後からついて来るものなんだ。

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