匠の蔵~words of meister~の放送

宇佐養魚株式会社【食用泥鰌養殖 大分】 匠:日高暁彦さん
2015年06月27日(土)オンエア
宇佐市院内町の清らかな水で食用泥鰌を養殖する『宇佐養魚株式会社』の代表、日高暁彦さん。どじょうは漢字で泥鰌と書くように泥や砂を好み、危険な時や調子が悪い時に泥に身を隠す習性があるそうだが、日高さんは試行錯誤の末に、泥の無い水槽で泥鰌を安定して養殖する技術を確立。その身はふっくらと肉厚で骨まで柔らかく、泥臭さがまったくないという。
「僕はもともと海外で海老の養殖を行う企業に勤めていたんですが、その頃、東京にある日本一の老舗泥鰌専門店『駒形どぜう』で食べた泥鰌の味に感動して、泥鰌の養殖を手掛けたいと思ったんですよ。そして、故郷の大分県水産試験場が、無泥水槽で泥鰌を養殖する研究を行っていることを知り、また、『駒形どぜう』の先代の後押しもあって、2002年から親戚がイチゴ栽培をしていた土地で、そのビニールハウスを利用して泥鰌の養殖を始めました」。泥鰌はデリケートな魚の為、最初は病気のオンパレードだったそうだが、日高さんは適正な水温調整や泥鰌の好む餌の開発などに尽力し、現在では年間10t以上もの良質な泥鰌を出荷できるようになったという。
「まだビジネスとして考えれば小規模なんですが、安定的に良質の泥鰌が供給できることが評価されて、現在は『駒形どぜう』や地元の料理店、そして、佐渡の『トキ保護センター』にトキの餌として泥鰌を出荷しています」。昔は全国各地の水田に多く生息していたが、近年は自然環境の変化や河川改修などにより、殆ど天然モノを見かけることがない泥鰌。世の中では何でも天然モノが重宝される風潮があるが、日高さんが養殖した泥鰌は、その天然モノより遥かに優れているという。
「僕が養殖を志した理由の一つに、天然モノ至上主義のような偏見をなくしたいという想いもあったんですよ。養殖モノはどうしても変な薬を使っているんじゃないかとか、変な餌をあげてるんじゃないかとか思われがちですが、そうではなくて人間の手だからこそ、ここまで美味しくて安全な魚が育てられるということを知ってもらいたかったんですよね。ここでは危険を感じたり、調子が悪かったりする時に泥鰌が隠れる泥がない状態で飼っていますので、泥鰌にとって悪い環境にしてしまうことは絶対に許されないんですよ。逆に言うと、そういう風に泥に隠れる必要のない、いい環境を人間の手で作ることができれば、必然的に泥は必要なくなるという訳です。手前味噌かも知れませんが、ここでは本当に天然モノとは比べモノにならないくらい、良質な泥鰌が育っていますからね」。そのように本当に最高の環境で飼うことによって可能となる泥の無い水槽で育てられた泥鰌は、まるで死んでいるかのように水面に浮いてお腹を出して寝るという。
「よく『泥鰌が死んでいますよ』と間違われるのですが、ここのようにイタチやナマズ、鳥などの天敵がいない上、いい環境で育てると、泥鰌は安心して仰向けの姿で寝るんですよね。その危機感のない姿から大分県産の泥鰌は、『大分のんきどじょう』という愛称で親しまれています」。泥鰌はカルシウムやビタミンD、さらにDHA、鉄分などが豊富で、昔から『鰻一匹、泥鰌一匹』といわれる程、栄養価が高く、その鱗や皮には美肌効果のあるコラーゲンも含まれているという。
「命あるモノを丸ごと食べましょうという『一物全体食』という言葉があるのですが、良質な泥鰌は頭から尾まで全部食べることができるので、まさに人間が生きていく為の栄養素がすべて摂れるんですよ。そして、そういう泥鰌は天然モノでは少ないですからね」。宇佐市では平成17年に、泥鰌生産者や料理人、農泊関係者などが中心となって『大分どじょう村塾』を設立。日高さんもその一員として泥鰌を食べる習慣の少ない県内の人々に、まず泥鰌をしってもらう為の活動を展開しているという。
「『大分どじょう村塾』では定期的に勉強会を開いたり、丑の日に泥鰌を食べるフェアを開催したり、また、イベントに出店したりしながら積極的に泥鰌をPRしています。そうして多くの人々に知ってもらえるように今後も現在の品質を落とすことなく、さらにもっと良くなるはず、もっと喜んでもらえる泥鰌が育つはずと信じて、歩んでいこうと思っています」。当初は失敗ばかり繰り返してきたが、時々ある成功に光を見出し、ここまで地道に一歩一歩、歩んできたという日高さん。その座右の銘は、まさにそんな日高さんの人生を物語るような『継続は力なり』という言葉だった。
「今だからこそ辞めなくて良かったと言えますが、当時は本当に苦しくて、『継続は力なり』なんて言えませんでしたからね」。

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