大河ドラマの主人公、黒田官兵衛ゆかりの地として活気づく、中津の和傘工芸の伝統をいまに受け継ぐ『和傘工房 朱夏』の代表、今吉次郎さん。竹細工の極みともいえる繊細な骨組みと和紙の色合いが優美な『中津和傘』は、最盛期の昭和の初めには約70軒の和傘屋で製造されていたが、洋傘の普及とともに衰退。江戸時代から続く、当時、九州唯一の和傘屋も平成15年に職人の高齢化により製造を止めてしまう。そんな中、今吉さんは平成17年に有志8人と共に『朱夏の会』を結成。城下町中津のシンボルとして、一度は途絶えてしまった中津の和傘工芸の伝統を復活させる。「中津和傘の始まりは江戸時代に遡ります。当時、財政難で喘いでいた藩が傘の原料である竹や和紙、柿渋などを地元で調達できることに目をつけ、和傘の製造を始めたんですよね。幕末には『傘は人との頭の上にさすものであるから卑しい仕事に非ず』と武士の内職として、和傘製造はさらに広がっていったというわけです」。今吉さんは平成6年に中津にUターン。それまで地元の力になれなかったことへの反省から、何か地元へ恩返しがしたいと和傘を復活させたという。「街を元気にするためには、やはりそこにしかないモノを、そこにしかない地域の特色を発信することが一番ですよね。『花笠鉾祭り』という夏祭りが毎年開催されているように、中津には和傘の文化が根付いていますからね」。今吉さんの活動は、ただ和傘を復活させることにあるのではなく、和傘で中津の街を元気にすることにある。だからこそ今吉さんは伝統の上にあぐらをかくことはなく、日々、革新的な商品の開発にも尽力する。「技術を継承している職人がいませんでしたから、最初は番傘をばらして傘の仕組みを研究するなど、試行錯誤を繰り返しました。和傘は『開いて花、たたんで竹』というのですが、その言葉ようにスマートにたためるようになるまで、1年以上の時間がかかりましたね。そして、街づくりに貢献することができるようになるためには、やはり採算も大事です。ですから、いまは和傘のみではなく、デザイナーとコラボして、洋服にも似合うような『日傘』や『ランプシェード』、『あんどん』なども製造しています。伝統を守る部分と、いまの時代に合わせる部分の二つを同じように意識することが大事なんですよ。『狭き門より入れ』という言葉もあるように、楽なことは誰でもできるし、感激もありません。やはりチャレンジしないと街は変わらないと思いますし、旧態依然の傘を作るだけでは、時代遅れだということは事実ですからね」。人が着物から洋服に衣替えしたのであれば、和傘も着物から洋服に似合う姿に衣替えしてもいい。その発想は、いまでは日本全国に十数軒しかないといわれる和傘工芸の世界に光を射すモノだった。「和傘は日本を見直すツールにもなると思います。現在の日本は学力偏重で、勉強の嫌いな子どもたちも、とりあえず大学に行きますよね。でも、大学に行かなくても、『こんな面白いモノ作りの世界があるんだよ』と提案できたら素敵じゃないですか。僕が工房を立ち上げた時に何人かの方に『私もそう思っていましたよ』と言われたのですが、口先だけではダメなんですよね。口先よりも行動ですよ」。その口よりも体が先に動く今吉さんの黒田官兵衛にも負けない行動力は、確実に中津の街を元気していた。
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