匠の蔵~words of meister~の放送

一勝地曲げ淋工房【一勝地曲げ 熊本】 匠:淋正司さん
2015年07月04日(土)オンエア
熊本県人吉・球磨地方の豊かな自然美に育まれた伝統工芸品『一勝地曲げ』の技術を唯一、受け継ぐ曲げ物職人『一勝地曲げ淋工房』の淋正司さん。曲げ物とは檜や杉の薄い板を丸く曲げ、桜などの樹皮で固定する木工品で、一勝地では江戸時代から相良藩の保護の下、『相良の三器具』の一つとして、お櫃や桶、柄杓など、様々な曲げ物が製作されてきたという。
「私が曲げ物と初めて出会ったのは25歳の頃なんですよ。当時は建設会社でビルなどを造っていたんですが、妻の祖父が曲げ物を作っていて、その見たこともないような木の美しい曲線に一目惚れしたんですよね」。以来、淋さんは400年もの間、この地に受け継がれてきた曲げ物の世界へ。その手から生み出される弁当箱(曲げわっぱ)などの曲げ物は、近年、優れた殺菌効果や調湿性などが再確認され、全国で広く愛用されるように。
「昔の曲げ物は道具でしかなかったんですよ。ですから見た目がゴツかったり、大き過ぎたり、今の人たちの感性とはギャップがあったんですよね。それでは、いくら『この弁当箱を使うと冷めてもお米に艶があって美味しく頂けますよ』などと美しい言葉を並べても、お客さんに買ってもらえませんよね。ですから技法は当時のままですが、デザインや使い勝手などは時代の変化に合わせていくことが伝統工芸品であろうとも大事だと思っています」。原木を1年ほど乾燥させた後、薄く仕上げた檜を熱湯で煮て曲げ、板の端を樹皮で縫い合わせるように閉じていく。そうして昔ながらの技法そのままに製作されながらも、今の時代を生きる曲げ物は、大事にすれば何十年も使い続けることができるという。
「もともと曲げ物の素材となる木は、皆、私なんかより年上ですからね。そんな長い間生きてきた木を使わせてもらう訳ですから、その美しさはもちろん温かさ、香りなどの魅力を最大限引き出してあげることは、木工職人の務めだと思うんですよ」。そうして木に対して敬意を払い、一手間を惜しまずに、日々、木と真摯に向き合ってきた淋さん。その体は曲げ物をつくる道具と化しているという。
「結局、自分が道具なんですよ。ですから道具である自分自身がしっかりとしていないと、思い通りの曲げ物は完成しませんよね。例えばノミやカンナなどの道具は整えてあげるとキチンと仕事をしてくれますよね。それと同じように職人にとって一番大切なことは、普段から平常心で仕事に向き合っていくことだと思うんですよ。昨日、夫婦喧嘩をして、それを引きずっていては今日、良い仕事はできませんからね」。そんな淋さんは自分自身が道具であるが故、気分が乗らない時は木に対して失礼と、仕事の手を止めることもあるという。
「結局、大工さんや左官さんなども体つきから大工さんであり左官さんですからね。体を見れば分かりますよね。手もゴツゴツとしているし、きれいでもない。大工さんも左官さんも、そして、この曲げ物も、きれいな細い手ではできないような仕事ですからね。体が段々、そうなってくるんですよ」。職人は体つきまでも最良の道具の姿に近づいていくという淋さん。そうして何十年も道具と化して歩んできた淋さんの曲げ物職人としての喜びまでも、その目尻に深く刻まれたシワの一本一本に表れていた。
「今、私は曲げ物職人となって35年目なんですが、段々と柔らかい表現ができるようになってきたんですよね。時間をかけてやっとこういうデザインになってきたんです。それは理屈ではなくて、私の体が、私の腕が、そのような柔らかい表現ができる道具になってきた結果だと思うんですよ。ですから、やはり職人は普段から自分が道具だと思って磨いていくことが大事だと思います」。指はゴツゴツとしているが、その指先はセンサーのように研ぎ澄まされ、「板の厚さも一瞬で判別できるんだよ」と笑う淋さん。今後はその道具を駆使して、誰もできないような曲げ物を作りたいという。
「30代の頃は着物のしなやかな曲線を曲げ物で表現した『雛人形』や『絵巻物』などの芸術作品なども数多く手掛けてきたんですが、今後は今だからこそできる、そんな曲げ物の可能性を追求した作品づくりに改めて取り組みたいんですよ。それがこの曲げ物を今の時代まで受け継いできてくれた先人たちへの恩返しにもなると思うんですよね」。現在、唯一の『一勝地曲げ』の技術を受け継ぐ職人として未知なる世界を歩もうとする、そんな淋さんの座右の銘は、自らが道具であるという想いが込められた『心技一体』という言葉だった。
「基本的なことなんですが、やはり技体一体ですよ。精神と技と体、この3本の柱がきちんと立っていないと、良いモノは生まれないですね、やはり」。

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