今から千二百年以上も前、唐に渡り筆作りの技法を極めた空海が、日本に持ち帰ったことが始まりとされる『奈良筆』の伝統技術を受け継ぐ『筆工房 楽々堂』の筆職人、御堂順暁さん。『願教寺』の住職でもある御堂さんは、『奈良筆』の本場である奈良で、名工、大田研精氏に師事した後に杵築市に帰郷。作って楽しく使って楽しい筆を製作したいという想いを工房名に込めた『楽々堂』を開き、日々、仏に仕えながら、心と魂を込めて筆を製作しているという。
「当初から実家の寺の住職を継がなければならないことは決まっていましたので、家に居ながらできる仕事を探していたのですが、筆は一人で完成まで携わることができる上、いつでも店にもあるのに作れる若者が少なく将来性がある。また当時、運よく日本一の師匠のもとで修行する機会が与えられましたので、この仕事は私にとって理想的だったんですよ」。明治時代以後、全国の学校教育現場で使用されるようになり、今日に至るという『奈良筆』。御堂さんは、小学生や中学生などの書道の初心者から、日展の常連といった上級者まで、幅広い顧客を相手に、各種原毛を独自の配合で組み合わせた、様々な書き味が楽しめる『書道筆』を製作。また赤ちゃんの髪で作る『初髪筆』を始め、『写経筆』『水墨画筆』『絵手紙筆』など、様々な注文に合わせた筆を、全工程一人で製作しているという。
「筆は初心者用を作るのが一番難しいんですよ。要するに小学生や中学生に使ってもらうような初心者用の筆は、単価を安くしなければなりませんので、値段の安い原料を使わないといけないんですよ。しかし、そのような安い原料を使っても、そこそこ書けるように、道具として使えるように作る為には、高い技術が必要とされるんですよね」。そんな御堂さんは、現在は殆どの筆が、工場で流れ作業によって作られているが、それでは本当に良い筆を製作できないという。
「私は常に使う人が持っている技術より、少し上のレベルに合わせた筆を作るようにしてるんですよ。例えば初心者には中級者に届くか届かないかというようなレベルの筆を作るんですよ。最初から悪い筆で練習すると、その人は自分の腕のせいで、きれいな字が書けないと勘違いしてしまいますからね。筆先が割れたり跳ねたり、まとまりの悪い筆できれいな字が書けなくても、それは腕が悪いのではなく、間違いなく筆が悪いんですよ。少しでも良い筆に替えると、初心者でも本当にきれいな字が書けるようになりますから、そうすると書道も面白くなるじゃないですか。ですから私は、道具は人間の努力を妨げないことが基本にあるべきで、さらに、その人を上のレベルに引っ張って行くような力を持っているべきだと思っています」。何より使い手が、どんな場面で、どんな字を書くのか想像して製作し、さらに、その人のレベルに合わせた最良の筆を提供する御堂さん。だからこそ御堂さんの筆は、多くの人々に最良の一本として、愛用され続けている。
「もちろん日展のトップのような人が、私の筆を使って『惚れ惚れした』とか言ってくれると嬉しいのですが、小学生や中学生から『良く書けて賞をもらったよ』とか、『書道をするのが面白くなったよ』とか言ってもらえると、やはり本当に嬉しいですよね」。現在64歳。「これからも面白い筆を作っていきたい」と柔和な表情で語ってくれた御堂さんの座右の銘は、『袖振り合うも多生の縁』にちなみ、筆を通して出会ったすべての縁に感謝し、大切にするという『袖振り合うも筆の縁』という言葉だった。
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