掛け軸や屏風、襖や書画などの表装、修復を手掛ける大正6年創業の老舗表具店『魚返豊州堂』の四代目、魚返倫央さん。人吉市民大学表具教室講師を務める傍ら、2007年に熊本県代表として出場した技能グランプリで全国4位に輝くなど、その卓越した技術と幅広い知識で、あらゆる表具に新たな命を吹き込む。
「私の表装作業のスタイルは昔に返るという形ですね。近代的な表装を行うのではなく、その表具が製作された当時に使われていたであろう糊を使ってみたり、紙を使ってみたりですね。そういう近代的ではない時代に逆行するモノを使って表装作業を行うんですよ。それは表具が製作された当時の時代感を残したいのと、痛みが少ない状態で残して置きたいからなんですよね。例えば最先端の糊の中には、どんな薬品が使われているのか分からないモノもありますよね。それが50年、60年と時代が移ろうと共に、本体にどんな影響を及ぼすのか、与えるのか分からないじゃないですか。逆に何百年も使われてきた糊であれば安心ですよね。それを使ってさえいれば、その先、また同じ年数だけ延命することができるという考えで仕事に取り組んでいます」。魚返さんは価値があろうがなかろうが、何十年、何百年と、その家や店などを見守ってきた器物には魂が宿ると信じ、預けられた古い表具が、さらに末代まで愛されるようにと腐心する。そんな魚返さんは八百万の神を崇める自然信仰と共に歩んできた日本人に、使い捨て文化は合わないと信じていた。
「私の仕事はランナーのバトンを次に渡してあげることだと思っています。要するに何十年、何百年と昔から走ってきた古いモノを、一度仕立て直して、また同じ年月、走れるように次の人にバトンを渡してあげると。その為には、既に実績のある道具や薬品を使う以外にないと思っています」。そんな魚返さんは、自らの表装の仕事は、あくまでも表具の中にある本紙を引き立てることにあるという。
「確かに江戸時代の表装にはかなり派手なモノもあって、本紙が負けてしまうようなこともあるんですよ。ですから私の考えでは、あくまでも表装は本紙を引き立てる為に行うモノだと思っています。ただ表具店によって、それぞれ個性がありますから、そこは否定しません。例えば『名物裂(多くは貿易品として鎌倉時代から江戸時代中期までに貿易にて舶載された最高級の織物)』のような派手な織物を使って、初めに視線をそこに引っ張った後に、本紙を見てもらうという考え方もありですよね。掛け軸の展示会などでは、何本も同じようなモノが並んでいると面白くありませんので、そこでわざと目を引く為に派手なモノをポンとひとつ持ってくると。そして、その周囲に大人しいモノを持ってくると、自然に目が派手な方に引っ張られて、中身も見てもらえますからね」。それは本紙は役者で、表具師は演出家のような関係なのだろう。しかし、その本紙を引き立てる演出家としての仕事は、ある意味、本紙を描く以上の技術と知識が求められるから難しい。
「表具店の仕事は、すべての匠の技術の集大成なんですよ。例えば額に使う木材を扱えなければいけない。本紙を修復する紙を漉けなければいけない。また織物も金物も、すべて扱えなければ仕事にならないんですよね。ですから私はこの仕事は、一生勉強だと思っています」。そんな魚返さんは、しかし、そんな世界だからこそ面白くもあると微笑む。
「やはり納得して見てもらえるモノを、必ず作れるようにならなければいけないと思っています。特に古いモノになると一品しかない訳ですよ。預けられたら100%成功しかないんですよね。失敗は許されない訳ですからね」。そんな失敗が許されない仕事だからこそ、魚返さんには独自の仕事の流儀があるという。
「私は品物を預かると、その品物と必ず対話ようにしています。預かってすぐに仕事に取りかからないんですよね。預かった品物を箱から開けて、どういう順序を経て作業をしていくのか、その工程をまず決めて、一度、元の箱に戻すんですよね。そうして数日後にまた開けてみて工程を頭の中で確認する。そして間違いがなければ、そこから初めて作業に取り掛かるという形ですね」。そんな魚返さんの座右の銘は、自分のやれることを最後まで全力で行うという、その仕事に向き合う姿勢そのままの『全力投球』というシンプルな言葉だった。
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