南さつま市の緑豊かな金峰山の麓に『矢杖空間舎 麓窯』を構える陶工、田島修次さん。大学卒業後、恩師の誘いにより萩市泉流山窯で修業し、5年後に独立。2002年に現在の場所に移窯し、ギャラリーを併設したという。
「父が白薩摩の絵付師でしたので、小さい頃からモノ作りが大好きな子どもでしたね。父と同じ道に進まなかったのは、父が白薩摩の技術を確立していましたので、自分は違う道で何かを確立したかったのかも知れませんね。それで食べることが大好きですから器を作ろうと。でも陶芸というジャンルを選んだのは、どこかで父と繋がっていたかったのだと思います」。そんな田島さんは、5年間の修業中、一日中蹴りろくろを回し続け、ひたすら手に仕事を覚えさせることに力を注いだという。
「感覚は教えられて身に付くモノではありませんからね。目で見て覚えて実践する。その繰り返しでした。でも習い事をする場合、その場所に長く居続けると、そこのカラーに染まってしまい、独立した時に自分のカラーを出しづらくなりますから、私は修業を5年間と決め、2年で全部を覚え、3年は恩返しのつもりで働きました」。そうして独立後、田島さんは『萩焼』の流れを汲みながらも、自然の風合いを生かした“用としての器”を中心に製作を始める。
「私の作品は常に50%なんですよ。そして、使う人が料理を盛るなり、花を活けるなりして100%にしてくれたらいい。シンプル・イズ・ベストというのか、料理や花があって器や花瓶があるという考えで作品を作る方が、自分自身、心地いいんですよね。でもシンプルなんだけど、その中に存在感がある。それが田島修次の作品だと思っています」。そんな田島さんは、存在感を極限まで際立たせた“作家性の高い作品”なども創作し、数々の陶芸展で受賞を果たす。
「作品を創作する場合、一つのモノの中に様々な調和が存在すると、非常に存在感が出てくるんですよ。例えば、大きな口をした壺の高台(底)を狭くする。その緊張感はすごいですよね。そのように相反するモノを調和させるコトによって、存在感が増してくるんです。世の中にも男性と女性がいて調和しているように、相反するモノを大事にしたら、非常にすごいモノが生まれるんですよね。逆に一つのモノだけが際立った作品は、非常に単調で面白くない。ですから何事も様々な調和があるからこそ、そこに言葉では説明できない、複雑さやコクというような存在感が生まれるんだと思います」。それは決して白と赤が混ざり、ピンクになるというような調和ではなく、一つひとつの個が、しっかりと確立した上での調和であるという田島さん。しかし、その個性を混ぜることなく調和させる技術とセンスは、一夕一朝で身に付くモノではない。
「何事も、いわゆる小手先ではダメなんですよね。例えば陶芸にしても、2年間毎日、向き合っていたら、誰でもある程度は作れるようになりますよね。しかも10年、20年経ったら、どんな人もベテランですよね。ですからその先は、その人がどう暮らしてきたのかが大事になってくる訳ですよ。毎日の積み重ねなんですよね。ですから、一つひとつを丁寧に暮らしていけば、多分、イイと思うんだけど、その為には、どこで暮らすかとか、どういう人と暮らすかとか、そういうのが非常に大事になってくる。やはりその人が選択していかなければならないと思います」。モノ作り世界では、『作品は自分自身だ』という人が多いが、それは優れた作品を生み出す為には、技術だけでなく、自らの生き方も大事だということを知っているからだろう。そんな自分自身の生き様をさらけ出す覚悟をもって生きてきた人の作品は、やっぱり人の心を打つ力をもっている。
「私の場合は、こういう自然の中で生活していますから、自然に感じるモノは一杯ありますよね。例えば、花などは、一つひとつその造形に感じるモノがありますし、あと香りなど、そういう何気ないことが、生き方みたいなことが、やはり小さい頃から大事だと思います」。現在は、百年前に途絶えた『川辺焼』の復興にも尽力する傍ら、自分の器を使って、誰かに飲んで、食べてもらいたいと、自然に囲まれた工房で、コーヒーや蕎麦なども提供している田島さん。ロードバイクを愛し、少林寺拳法にも造詣が深く、あくまでも自然体でありながらバイタリティー溢れるその生き様は、作品同様に、人を惹きつける、魅力溢れるモノだった。
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