色彩の魔術師とも評される長崎在住の画家、岡和臣さん。絵画教室を主宰する傍ら、長年、故郷の魅力を独特の色彩感覚によってキャンバスに表現。現在は仏教をモチーフにした水墨画も手掛ける。
「幼い頃から病気がちで病院によく通っていたのですが、そこに飾られていた絵を見るのが大好きで、なぜか絵を見てワクワクしていたんですよね。その頃、兄と私とそれぞれ自動車を描いたのですが、それを見た姉が『兄は上手に自動車を描けている。でも私の描いた自動車は走っている』と。その言葉が、とても嬉しくて。画家を志すきっかけになったのかも知れないですね」。高校卒業後、一度は船舶関係の仕事に従事するが、40歳で辞表を提出。幼い頃の夢であった画家の道へと本格的に足を踏み入れたという岡さん。その描く絵は、どれもかつて岡さんの姉が表現したかのような躍動感に満ち溢れている。
「絵はやはり生き生きとしていなくてはなりません。絵は物事の再現や描写ではないんですよ。モノの伝達手段ではないんですよ。常に表現なんですよね。表現というのは見えないモノを、色、形、線によって表すことなんです。モノをモノらしく、例えばコップの水滴を、まるで写真のように描くことは、とても簡単です。それよりも水滴をどう表現するのかという方が難しいんですよ。そこに描き手の個性が求められますからね。ですから描き手がバナナを紫に塗りたかったら、バナナを紫に塗ればイイと思うんです。誰もバナナとは思わないかも知れませんが、絵とは、それぐらい自由なモノだと思っています」。岡さんは、絵は個性の表現手段であるが故に、上手である必要ないと断言する。しかし、自分自身を偽らずに見つめ直し、自由に自分自身の個性を表現することは、ある意味、岡さんが言うように、見えたままに、ただ上手に描くことより難しい。
「絵は描き手の人間が見えるから面白いんですよ。ですから私は、ただ再現した絵を見ることに興味はありません。彫刻でも、よく女性の裸を再現したモノが並んでいますが、それでしたら私は本物のを見た方がイイですよ(笑)。そういう、ただ真似て作ったモノではなく、そこに人が介在してあるモノでないと面白くない。ですから作り手、描き手には、キチンと自分探しを行った上で確立した個性が問われますよね。芸術とは、そういうモノだと思っています」。そんな岡さんは、「絵は普遍的なモノであるが、常に時代と共に評価が変化していく」という。
「ゴーギャンの絵が当時は早すぎたように、絵の評価というモノは、常に時代によって変化していきますよね。ですから描き手はキチンと歴史を学び、過去を知った上で今の時代を表現することが大事だと思います」。江戸時代、海外との唯一の窓口であったように、独特な歴史をもつ長崎を学び、その上で、空の青、山の青、そして、海の青、それぞれの青が鮮やかに描かれた岡さんが描く長崎の風景は、どこまでも明るく、希望に満ち溢れていた。
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