朝霧の美しい金鱗湖の傍に建つ、湯布院を代表する名宿「草庵秋桜」の料理長・新江憲一さん。地産地消を実践しようと、料理人と農家双方にメリットのある流通を確立、さらに湯布院全体の料理をレベルアップさせようと、湯布院料理研究会を発足させるなど、湯布院料理界の第一人者として知られている。そんな新江さんは、「勇気を持って進む場合は、自惚れないと進めない」と、まさに有言実行の精神で、この料理の世界に足を踏み入れたそうだ。「僕は料理修行を殆どしていません。かわりにお茶、お花、書道の勉強をしていました。僕は料理人になりたかったのではなく、料理長になりたかったんです。料理人になる為には料理技術が必要ですが、料理長になる為には料理長技術が必要なんです。例えば、献立を書く時は少々上手な字じゃないと駄目です。盛り付けをする時はセンスがないと駄目です。そして、やはりお茶などで培われる教養が必要です。料理は技術で作るのではなく、センスと教養と感性で作るものですから、そのセンスと教養と感性を磨かないと、料理長にはなれないし、料理は作れないと思ったんですよね」。良い技術者が、必ずしも良きリーダーになれるとは限らない。それは何かを作る技術は習うけど、その技術者を率いることは習わない訳だから。「卵焼を初めて焼いた人は、誰にも習っていないんです。茶碗蒸を初めて蒸した人は、誰にも習っていないんです。だったら料理は習わなくても作れるはずなんです。そこが感性だと思うんですよ」。そんな新江さんの感性から生み出される料理は「湯布院の景色が見える料理」だと、多くの観光客から絶賛されている。「僕のシャーベットのシリーズは、湯布院の畑で余った野菜を使っています。メロンもキュウリと同じ瓜だな〜とか思いながら細い線を繋げていって、キュウリのシャーベットが出来上がるんですよね。そして、そんな料理は習う料理では作れません。考えた料理なんです。湯布院の料理人さん達は、皆さん考えた料理を作っています。何故ならば目指さないからです。目指すと皆が同じ料理になってしまうんですよ。例えば夏の京都に行くと、夏の京都の料理はこうあるべきだというものがあって、それを皆が目指すので、全て同じ料理になってしまうんですよね。ですから湯布院では目指さない。目指すものから始めるのではなく、足元から始めるので、オリジナリティが出るんですね」。料理はジャンルだけでも和・洋・中などがあり、さらにメニューも前菜、メイン、デザートと多種多様にある。湯布院の料理人は皆、自由にそんな料理の可能性を信じて考える。そのクリエイティブな感性こそが、湯布院料理の真髄という事だろう。「料理人にとって一番大切な事は、料理が嫌いにならない事です。人を感動させたり元気にしたり、喜びを与える料理を作る事は、やはり苦しいし難しいです。僕は、人が最後に『もう1回この料理を食べたい』と思って貰えるような料理を作りたいと思っています。そして、そこを常に目指しながら、作るのは毎日同じモノなんです。それが大事だと思いますね」。
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