匠の蔵~words of meister~の放送

畑萬陶苑【窯元 佐賀】 匠:畑石眞嗣さん
2016年09月03日(土)オンエア
かつて鍋島藩の御用窯として栄えた“秘窯の里”大川内山にある、『伊万里鍋島焼』を牽引する窯元『畑萬陶苑』の四代目、畑石眞嗣さん。
“伝統と革新の調和”をテーマに、革の質感を磁器で表現した『キュイールデザイン』と呼ばれる革新的な作品を発表するなど、斬新なアイディアを次々と具現化。平成に入ってからは『低温度焼成法』に着手し、その応用で『卑弥呼人形像』や『ランプシェード(九州山口陶磁器展通産大臣賞受賞)』を生み出すなど、世界に通用する文化芸術を追求する。
「江戸時代に鍋島藩の御用窯であった大川内山では、有田焼の中でも『鍋島様式』と呼ばれる献上品のみがつくられていましたので、欧州で人気を博した『古伊万里』のように、その作品が世に出回ることはありませんでした。ですから私はこの『鍋島様式=伊万里鍋島焼』を、かつての『古伊万里』のように、世界中の人々に広めたいという夢をもっているんですよ」。地元、有田町に生まれ、大手電機メーカー勤務を経て、24歳でこの世界へと飛び込んだという畑石さん。以来、日本伝統工芸士会、伊万里有田焼伝統工芸士として、革新的な作品を発表するのみならず、様々なイベントを仕掛けるなど、『伊万里鍋島焼』の振興に尽力する。
「廃藩置県以降、せっかく自由に作品がつくれるようになりましたので、その御用窯として培われた高度な技術を駆使して、新たな『伊万里鍋島焼』の物語を紡いでいこうと。そう考えたのは人と同じモノをつくりたくないという天邪鬼な性格もあるかも知れませんね」。17世紀初頭に李参平によって泉山で陶石が発見され、日本で初めて磁器が焼かれてから創業400年を迎えた有田焼。その歴史の中で、『初期伊万里様式』『金襴手様式』『柿右衛門様式』など様々な様式が生まれ、今に受け継がれているが、畑石さんは“伝統=継承”ではないという。
「伝統は継承するのみではダメなんですよ。絵の具を変えたり、新たな表現方法に挑戦したり、今までにない味わいを、それぞれの時代で生み出してこそ、次の時代に確かに受け継がれるモノなんです。有田焼の様々な様式も、最初はゼロから生み出された訳ですから。そうやって時代、時代で変化してきたという多様性こそが面白いし大事だと思っています」。そうして『畑萬陶苑』、そして、ここ大川内山という地域の新たな物語を紡ぎ続ける畑石さんだが、基本は常に伝統にあるという。
「これまで様々な挑戦をしてきましたが、基本となるのは伝統なんですよ。基本は一切変えずに、『鍋島様式』という伝統に、枝葉を一杯生やしてしまえという話で。そして、そうやって生まれたモノが今の時代の人々に認められれば、将来、新たな伝統となるでしょうし。ですから私は昔から受け継がれてきた伝統的な『伊万里鍋島焼』、今の時代で使われる産業としての『伊万里鍋島焼』、そして新たな可能性を秘めた芸術としての『伊万里鍋島焼』という三本柱を、常に意識して仕事と向き合っています」。伝統を基本に、『瑠璃焼締(るりやきしめ)』という技法で、雲一点もない青空の色を表現した作品や、見た目も手で触れた感触も革そのモノの『キュイールデザイン』の香水瓶が注目を集めるなど、世界中に『畑萬ブランド』のファンを増やし続けている畑石さん。そんな変化を恐れずに、広い視野で未来を見据える精神こそこが、ここ大川内山の陶工たちに受け継がれる『伊万里鍋島焼』の伝統の本質だった。
「山々に囲まれた秘境の地であるここ大川内山には、江戸時代に門外不出だったという歴史がある訳です。そういうロマン溢れる物語を伝える語り部をどうつくっていくかということが大事なんですよね。しかし、その語り部が過去ばかり語っていても仕方ありません。ですから私たちは将来を語る語り部をつくろうと。一度訪れたお客様が、また来たい、次に来た時が楽しみだと思って頂けるようにならないと、未来はありませんからね」。そうやって自らが『伊万里鍋島焼』の未来を語る語り部となることで、その「背中を見た若い陶工たちの刺激になれば」と微笑む畑石さん。そんな畑石さんの座右の銘は、『伝統と創新』『伝統と革新』という自らの生き様を表現したかのような言葉だった。

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