原木より製作し、最後の皮貼り、仕立てまでのすべてを一人で手掛ける三弦師『三弦 喜匠』の花田裕二さん。高校卒業と同時にモノ作りの面白さに目覚め、師匠のもとで修行を開始。以来30有数年、伝統工芸的手法で三味線を製作し、日本全国の顧客を相手に活躍する。「16世紀半ばに中国から琉球王国を経て日本に伝来したとされる三味線ですが、約500年もの間、数々の名人たちが様々なチャレンジを行い、現在の形に落ち着いたと思うんですよね。ですから、その形は限りなく完成形に近いモノだと思っています。私たち職人は、その中で個性を競い合わなくてはならないんですよね」。日本の伝統美が凝縮され、女性的とも評されるしなやかなフォルムから、数多くの楽器の中でも工芸の要素が大きいとされる三味線。しかし、当然、楽器として要求されるのは音の鳴りの良さ。「もちろん三味線は楽器ですから音の鳴りの良さが前提にあります。しかし、姿形が良い三味線は、不思議と音も良く鳴るものなんですよね。確実にそうかと言われれば、非常に繊細な楽器なので、微妙な部分もあるのですが、ただ、はっきりと言えるのは、音だけが良ければいいという考え方は間違いだと思います。日本の三味線と謳うのであれば、やはり本来ある三味線という日本の楽器としての美しさ、日本の美がないといけないと思うんですよね。ですから、おかしな格好をして良い音は鳴らないというのが、私たち職人の考え方なんです」。名は体を表すと言うが、その逆もしかり。やはり良い音を鳴らす楽器というモノは、得も知れぬ美しさ、雰囲気を纏っている。その日本古来の伝統の音色は、姿形までも伴い、花田さんの手によって受け継がれている。「日本人が作る楽器というのは、見えないところに非常に繊細な細工を施すんですよ。理由は分かりませんが、そういう細工をするのが、やはり好きなんですよね。例えば、三味線という楽器は、三つに折って持ち運ぶことが出来るのですが、その折り目に何もないのではなく、日本人はそこに綺麗な細工を施したいと思ってしまうんですよ。そして、その細工を誰よりも上手く作りたいと思ってしまうんですよ」。そこに理由など求めても、答えなんてあろうはずがない。何故なら、それが日本人のワビやサビ、そして、粋と呼ばれるものだから。指物師のそれのように、見えない部分のこだわりには、合理性だけでは計り知れない、職人のロマンが隠されている。「昔は色んな楽器を手掛けていましたが、三味線製作の世界はやればやるほど奥深いものなんです。今は三味線以外の楽器を作っている場合ではないというか、ただ無心に、三味線製作に打ち込んでいこうと思っています」。そこにゴールはあるのかというという問いに、花田さんは「あるはずがない」と笑って答える。それでも見えないゴールに向かって歩み続ける花田さん。その先にあるのは一つのことを追求してきた者しか見ることの許されない特別な世界。「一生懸命にやると、それなりに自分に帰ってくるモノがあるんですよね。それはどの世界でも同じことだと思います」。
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