筑後川の流れる豊かな自然に恵まれた地に工房を構える『藍生庵(らんせいあん)』の五代目、松枝哲哉さん。重要無形文化財久留米絣技術伝承者である松枝さんは、妻の小夜子さんと二人三脚で、日々、“藍(あい)に囲まれた工房”で、日本三大絣として知られる『久留米絣』を製作しているという。
「『久留米絣』は木綿の糸を天然の藍で染めた絣織物で、約200年前、江戸時代後期に井上伝という女性が考案したといわれています。丈夫で肌触りが良く、品のある美しさが特徴で、広島の『備後絣』、愛媛の『伊予絣』と共に、日本三大絣として知られているんですよ」。そんな松枝さんは、『久留米絣』を芸術の域まで高めたといわれる人間国宝、松枝玉記氏を祖父にもち、その玉記氏から藍染を、祖母から機織りを仕込まれたという。
「中学生の頃から祖父の手伝いを始め、デザイン系の学校を卒業した後に、本格的に『久留米絣』の世界に入ったのですが、今はこのような仕事ができて本当に良かったなと思っています。『久留米絣』には200年もの伝統があり、その間には凄く多くのたちが関わってきた訳でしょう。そういう人々の一員となれて、次に繋げていけるということは、この仕事の一番の誇りですよね」。祖父の玉記氏からは、『藍は生き物だ』ということを教えられたという松枝さん。その言葉は経験を積めば積む程、実感できるようになったという。
「藍は手をかければかける程、それだけ美しい色で返してくれるんですよね。それは決して化学染料からは生まれない、俗にいう藍色風ではない、本物の藍だけがもつ深みのある色なんですよ」。絣の着物は昔から『着る人の免疫力を高める』と伝えられているが、近年、染色時に糸に移る『藍菌』が、約150年前の『久留米絣』にも生き続けていることが判明したという。そんな『藍菌』と、人の免疫力向上には何らかの関係があるとみられ、現在、研究機関で解明が進められているそうだが、そんな事実を知らずとも、先人たちは『藍は生きている』ということを、仕事の中で実感してきたのだろう。
そんな藍と共に生きる松枝さんは、伝統的な絣に加え、凛とした藍の青と、白く染め抜かれた淡い光のグラデーションが美しい『銀河』や『花火』などをイメージした絵絣も製作。日本伝統工芸染織展などで、数々の受賞歴を誇る。
「私はロマンチックや夢といったモノが好きなんですよね。ですから絣を着て下さる人には、そういう想いを伝えたいし、感じて頂きたいんですよ。木綿の絣は凄く贅沢品であり、究極のお洒落着だと思うんですよ。そういうモノを着て頂く以上、やはり何か製作者の想いが作品の中に込められていないとダメだと思うんですよね。それはただの商品ではなく、作品なんですよね。ただ昔からあるモノの写しではなく、創作なんですよ。幸い、『久留米絣』は完成するまで本当に時間がかかるモノですから、それだけ想いを込めることができますからね」。日々、天然の藍で染めた木綿を、伝統の機を使って、その手で織り続ける松枝さん。200年もの長い伝統をもつ『久留米絣』が今も色褪せず、日本人の心を捉えて離さない理由は、ただ美しいだけではなく、松枝さんたち絣職人のロマンがそこに込められているからなのだろう。
「私は様々な作品で、光をテーマにデザインしているんですが、例えば星の光は何十億年も前に放たれたモノが地球に届いて、今、我々の目に見えている訳じゃないですか。それだけを考えても凄くロマンチックですよね。そういうモノを絣で表現できるということは、やはり面白いですよね」。そんな松枝さんは光をテーマにした作品を製作した時に、こんな句を詠んだという。『藍甕に 浸して絞る わたの糸 光にかざす とき匂ひ立つ』。日々、接する美しい水やまぶしい緑、そして、降り注ぐ光などの情景に創作意欲をかきたてられ、自然の命や輝きを表現し続ける松枝さん。その作品たちは、『久留米絣』の長い伝統を感じさせながらも、現代の雰囲気を纏った、今を生きる絣だった。
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