佐賀川上峡名物の『白玉饅頭』を製造する創業明治15年の老舗『元祖吉野屋』の6代目、吉村正則さん。『元祖吉野屋』は、明治時代に避暑地として賑わっていた川上峡で、お祭りやお祝事用として地元に伝わる饅頭を、『白玉饅頭』として商品化。以来、130有余年、いまも添加物を一切、使用せず、こだわりの素材と製法から生み出される伝統の味を守り続けている。
「白玉饅頭作りは精米から始まります。その後、洗った米を石臼で挽いて粉にし、それを数回ふるい、捏ねて蒸します。その生地を、さらに挽いて捏ね、餡を入れて再度蒸すのですが、この2回蒸して、2回捏ねることで、固すぎず、柔らかすぎず、絶妙な食感と歯切れの良さが生まれるんですよ。しかし、これはレシピがあるモノではありませんので、そのときの気温、湿度、素材の状態などを見ながら、すべて感覚で作っていくしかありません」。そんな吉村さんは結婚を機に、妻の実家である店を継ぎ、現在に至るという。
「以前は東京で会社員をしていましたので、まったくゼロからのスタートでした。しかし、知識がなかったので、真っ白な状態から技術を吸収することができたのかも知れませんね。最初は完成した商品しか知りませんでしたので、先代の手間隙のかけように、『ここまでしないといけないのか』と絶句しましたが、いまでは店の白玉饅頭が、現在まで愛され続けてきた理由が、そこにあると実感しています」。それはシンプルな故に、ごまかしのきかない商品。吉村さんは長年のファンたちによる厳しい目にも鍛えられ、技術を向上してきたという。
「私が白玉饅頭を作るようになる以前から愛してくださっているお客さんの舌はごまかせません。少しでも手を抜こうモノなら、そんな大勢のお客様からお叱りを受けますからね」。そんな吉村さんは、添加物を一切、使用しないため賞味期限が1日と、以前は佐賀に足を運ばないと味わえなかった『白玉饅頭』を、最新の冷凍技術を取り入れ、全国発信を可能にしたという。
「伝統を崩してはいけませんが、時代の流れ、お客様の要望に合わせて、伝統の上にプラスしていくことは大事だと思います。最初は中々、先代からOKをもらえませんでしたが、実験に実験を繰り返し、2年の歳月をかけて、ようやく納得してもらえる冷凍方法を見つけ出し、いまでは全国どこにでも白玉饅頭が送れるようになりました。以前、東京で佐賀出身のお年寄りが『もう二度と食べられないと思っていた』と涙を流して感動された姿を見て、本当に嬉しかったですね」。それは佐賀市民のソウルフードともいえるモノ。だからこそ、吉村さんはいまも機械化せず、愚直に昔ながらの製法で、『白玉饅頭』を作り続ける。
「お客様が食べて美味しいというのは当たり前なのですが、私は食べた瞬間にニコッと笑う姿を想像しながら作っています。そして、絶えずそういう姿勢で作業をしていますと、その姿を見て、従業員さんやパートの方も一生懸命、作業をしてくれるようになるんですよね。この『白玉饅頭』は、当然、私だけが作る饅頭ではありませんので、私が適当に作ると、皆さんも適当に作るようになると思うんですよ。やはり代表が手を抜かない気持ちで仕事をすれば、言葉で語らずとも周囲の雰囲気は変わっていきますよね」。集団はリーダーを映す鏡だとよくいうが、リーダーの態度や姿勢は、言葉にすることなく、集団を変える力をもっている。その『白玉饅頭』は6代目の背中に導かれ、次の世代へと受け継がれていく。
「私のいまの目標というのが、この店を200年続く店にすることなんですよ。それは後70年、孫の代まで続けていけなくてはならないことなんですが、そんな店にするために、いま何をするのかというと、やはり、そういった姿勢を見せ続けていくことが、一番、必要なことだと思っています」。
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