唐津藩の御用窯としての伝統を受け継ぐ唐津焼の名窯『中里太郎右衛門陶房』の十四代中里太郎右衛門さん。平成14年に十四代を襲名し、土の表面を削り落としながら文様を描く『掻き落とし』の技法などを駆使し、柔らかな土味の中に気品を宿した唐津焼を作陶する。
「私は武蔵野美術大学で彫刻の勉強をしていましたので、この窯で作陶を始めた当時は前衛的な壺などのオブジェばかりを作っていたんですよ。私の父である十三代も日展会員でしたからね。それが名護屋城の献茶式の為に2千個の茶碗を作って以来、400年以上の歴史を有する唐津焼の伝統と、真正面から向き合うようになっていったんですよ」。その前衛的な作品が32歳の若さで日展特選を果たすなど、各種展覧会で入選、入賞を重ねてきた十四代だが、名護屋城の献茶式を機に唐津焼の真髄は茶人たちが愛する『侘び寂び』の世界にあると、原点回帰するようになったという。
「人間国宝に認定された十二代は、古唐津の衰退期以降、現代にその魅力を広く再認識させた人物だったのですが、そんな素朴で味わいのある十二代の古唐津に、私は魅力を感じるようになっていったんですよね」。そんな古唐津の系譜を受け継ぎながらも、パリで開催された香水、化粧品業界の『国際展示会』に、青く発色する釉薬が美しいアロマを楽しむ器を出品するなど、現代的な表現を取り入れた作品も発表している十四代は、唐津焼の世界には『作り手八分、使い手二分』という言葉があると教えてくれた。
「唐津焼は年月と共に育っていく、味わいが出てくる焼物なんですよ。ですから窯から出した時点では、まだ八分という考えで、そこに二分の余白が残されているんですよね。特に低温で焼かれたモノは変化が大きいのですが、貫入(亀裂)の部分に水分や茶渋などが染み込むなど、本当に様々な表情を見せるようになるんですよ。ですから同じ時に焼いたモノでも使い手によって違う景色を見せるようになるんです。そんなところも唐津焼の魅力なんでしょうね」。白磁を基調に華やかな絵付けによって彩られた有田焼と違い、そんな年月と共に育つ土モノならではの素朴な味わいが魅力の唐津焼は、一般的にその良し悪しが分かり辛い玄人好みの焼物だと言われるが、それを見極める目は色んなモノをたくさん見ることで養われるという。
「美しいモノ、味わいのあるモノ、すべての素晴らしいモノを意識して見続けることで、モノを見る目は必ず養われます。私は骨董品が好きなんですが、様々なモノを見続けることで本物と偽物の違いも分かるようになってくるんですよ。ちなみに分からない場合は、全体を観察して少しでも疑問を感じたのであれば、そのモノに手を出すのは止めた方がいい。人は大概、いやそうじゃないと、小さな疑問であれば目をつぶってしまうのですが、そうすると失敗してしまうんですよね」。そんな十四代は、どんなモノでも良い作品には、必ず作り手の気が入っていると断言する。
「作品の良し悪しを判断する基準は人によって違うと思いますが、私はそこに気が入っているかどうかだと思います。例えば唐津焼の場合、形の歪んだ作品でも気が入っていたらピリっとするんですよね。その気は何よりも体調が良く、気分も爽快で、一生懸命、作陶に打ち込む。そうすることで入れることができるんですよ。ですから気を入れようと思って作るのではなく、いかにいい環境を作ることができるのかが大事なんですよね。私はよく絵唐津の松の絵などを竹筆描くのですが、これも気分が乗っていない時は描きません。いつでも描ける状態に準備していて、今だと思った時にパパっと一瞬で描くんですよ。特に大皿に描く時には、自分の呼吸を掴まえることを意識しています」。作品に込められた作り手の気や想い、そんな見えない何かを感じさせる作品を生み出す為には、何より心と体を整えることが大事だという十四代。その上で、土に火に道具に、そして唐津焼の窯元に生まれた環境に、何事にも感謝する気持ちを忘れないという十四代の唐津焼には、気品までもが宿っていた。
「気品はその人に気品がないと出せません。モノづくりの世界において人間性は必ず作品にも表れるんですよ。愚痴や不平不満ばかりを口にするなど、その人に気品がないとそれ相応のモノしかできませんからね。逆に人間に気品が出るとモノにも気品が出てきますので、何事にも感謝する気持ちを忘れないことですよね。最近は若いスポーツ選手なども、よく感謝の言葉を口にするじゃないですか。そんなシーンを目の当たりにすると私は日本も捨てたモノではないなと思うんですよね」。そんな十四代の座右の銘は『ありがとう』という、その手から生み出す唐津焼のように、何とも素朴で味わいのあるシンプルな言葉だった。
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