『琉球紬』を原型に、宮崎の自然を生かした独自の手法を取り入れた『宮琉紬』を制作する『大城染織工房』の大城規由さん。ザインから染め、織りと、80にも及ぶ工程をすべて手作業でこなし、宮崎と琉球の両方の名を冠した、宮崎の新たな伝統工芸品を生み出す。
「ここ波島には沖縄から疎開してきた多くの人々が住んでいる関係で、私の両親も戦後に、『琉球絣』の本場である沖縄の南風原から移住してきました。そして、昭和43年に工房を開き、故郷の紬を織り始めたのですが、私もその頃から両親とともに仕事に携わるようになったんですよね」。紬は縦糸が1200本もあり、それにそれぞれ染色し、1本の横糸で伝統的な柄を織り上げていく。複雑なモノは一反織るのに、数ヶ月もかかるような気の長い仕事だが、大城さんは自らの代になってから、オリジナルの柄も制作するようになったという。
「『宮琉紬』の名前は、以前、宮崎の伝統工芸品を育てたいという話があり、その時に名付けたモノです。『宮琉紬』と名前を変えた時点から、染めの原料は、宮崎の県木である山桜や桑の木、蓬など、すべて宮崎の自然のモノを使っています。また、デザインも南国、宮崎らしさを意識して、この紬は宮崎のモノと呼べるような作品づくりを心がけています。沖縄の伝統の良いところは、そのまま残しつつ、いまの時代を切り取った現代人にも喜ばれるモノを加えていく。これこそが『宮琉紬』だと思っていますので」。着物離れが叫ばれて久しい現代社会において、『琉球紬』の技法を使い、宮崎の風土を織り込む大城さん。その宮崎の豊かな自然の恩恵を受けた草木染の深みのある色と、『琉球紬』をルーツにもつ手織りならではの独特の風合いは、宮崎の新たな伝統として認知されるように。
「私は作る人の心が着る人に伝わるということをモットーに『宮琉紬』を制作しています。そして、長い経験の中から、品物を作るときに行き詰ったら、いつも初歩の原点の頃に戻るようになりました。例えば、自分の思った色に糸が染まらないようなときは、一から何回も何回も実験を重ねた方が、いま現在の知識の中で実験を重ねるよりも、早く自分の思った色を出せることが多いんですよね。ですから、結局はいつまでも一年生ですよ」。『急がば回れ』という諺もあるが、草木染という人の思い通りにならない自然を染める大城さんにとって、原点回帰は、答えにたどり着く一番の近道となる。そんな原点は、何も答えをくれるだけではない。仕事を始めた頃の情熱までをも思い出させてくれる。「職人は誰でも常に一年生だと思います。そして、宮崎の新しい伝統を作っていく我々も、もちろん常に一年生です」。
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