華やかな染付や色絵が盛んな有田焼の世界で、白磁を極めた重要無形文化財保持者(人間国宝)、井上萬二さん。86歳となる今でも毎日、ろくろの前に座り続け、究極の造形美を生み出す卓越したろくろ技術で、白磁の中に有田焼の美を表現する。
「焼物は、その誕生以来、より美しく見せようという意識から、女性が化粧をするように常に加飾、飾りが加えられてきたんですよね。有田焼も400年の歴史の中で、様々な染付や色絵が施され、美の世界を創造してきたのですが、私はどんなに加飾をしようが、まず形を作り出すのが焼物の原点ですから、形が美しくなければ意味がないと考えて、究極の造形美を目指したんですよ。そうして形が美しければ加飾する必要はないのではないかという考えに至ったんですよね。それから白磁に取り組んだのですが、白一色でも美しい造形を生み出せるようになるまでは、毎日、努力、努力を積み重ね、修練に励みました」。井上さんは15歳で海軍飛行予科練習生となり17歳で復員。父の勧めで働いた『柿右衛門窯』で、ろくろ師として名高い初代奥川忠右衛門と出会い、自らの技を磨いてきたという。そうして加飾に頼らずとも人々を魅了する、究極の造形美を生み出す卓越した技を身に付けた井上さんは、いつしか『ろくろの神様』と称されるように。
「皆、私のことを神様と呼びますが、神様ではないんですよ。私はただ職人として当たり前のことをしてきただけなんですよね。私は若い頃に無給で技を吸収してきたのですが、常に満足することなく、これでもか、これでもかと修練に励めば誰でも到達できる領域だと思っています」。そのどこまで歩んでも不満足を貫く姿勢を持ち続ける限り、まだまだ技は進化すると、今も修練に励む井上さんの代表作には、白磁に青磁で加飾を施した作品もあるという。
「これは私なりの加飾に挑んでみようと中国、景徳鎮の磁器をヒントに白磁に青磁で文様を彫った作品なんですが、日本伝統工芸展で最高賞の文部大臣賞(当時)を受賞することができました。それから60歳で柿色を、70歳で黄色を、80歳で紫色の文様を表現するなど、白磁のみに捉われることなく、様々な色絵にも挑戦しています」。1616年に李参平が有田町の『泉山磁石場』で良質な陶石を発見し、その礎を築いたとされる有田焼が、創業400年となる今もその輝きを失わずに愛され続ける理由は、井上さんのような数多の陶工たちが、ただ有田焼の伝統を守るだけでなく、その時代、時代に合わせた有田焼の美を追求し、研鑽を重ねてきたからであろう。
「有田焼には古伊万里や鍋島などの古い名品が数多くありますが、そのような名品を残してくれた先人たちの尊い技を正しく受け継いで、平成の伝統を作っていくことが、我々に課された使命なんですよ。ですから現代を生きる陶工たちは有田焼創業400年を、ただお祝いするだけでなく、平成の感覚で平成の伝統を作っていく原点にしていかなければならないんですよね。技術は模倣しなくてはいけませんが感覚は常に新しく。そうして50年後、100年後に平成の有田焼が伝統となって後世に受け継がれていくように、私も老人となりましたが、まだまだ常に挑戦です。チャレンジ精神を持っているんですよ」。そんな井上さんが生み出す、圧倒的な存在感を放つ作品を前にすると、なぜか拝みたくなるような不思議な感覚に包まれる。
「ろくろの前に座り、作品と向き合っている瞬間は、周囲にどんな雑音があろうとも全く気にならず、まるで仏門に帰依したかのような無の心になるんですよね。その間は手が震えないように息も止めて、ただ一つに集中する。そうする為には、やはり肉体的も精神的にも充実した日々を過ごすことが何より大切です。そうして体も心も充実している時には、土が自分の思った通りに動いてくれるんですよ。人間は文句をいったり、小言をいったりと色々とありますが、土は本当に文句も小言もなく素直ですからね」。井上さんの白磁が、どれも透き通る程、真っ白で、一点の曇りもない美しさを纏っている理由。それは厳しい修練の末に到達した無我の境地で紡がれているから。そんな井上さんの仕事の信条は、自らが掲げる座右の銘にも表れていた。
「私は『名陶無雑(めいとうむざつ)』という言葉を座右の銘に掲げています。いい焼物とか、名品には雑念が無いということですね」。肩書は人が付けるモノと、自らを一人の『焼物人』と語り、自らの名前を掲げた工房で、日々、無我の境地で作品と向き合う井上さん。その手から紡がれる作品は、これからも進化の歩みを止めず、この先400年後も、いや未来永劫、平成の有田焼の伝統として受け継がれていくことだろう。
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