匠の蔵~words of meister~の放送

酒井彫雅堂【傘鉾制作 長崎】 匠:酒井修さん
2014年10月04日(土)オンエア
長崎諏訪神社の秋の大祭『長崎くんち』の傘鉾を製作する数少ない彫刻家、『酒井彫雅堂』の酒井修さん。長崎市内に59存在する、それぞれの町の印(しるし)でもある美しく彩られた傘鉾を、長年に渡り製作し、その卓越した技術で長崎の秋の風物詩を陰から支え続ける。
「傘鉾とは祭礼に用いる飾り鉾のことで、踊町(その年に奉納踊を披露する当番の町)の列の先頭に立ち、さながらその町のプラカードのような役目も果たしています。それ故に、それぞれの町の由緒やイメージにちなんだ様々な装飾が施されているんですが、その中にはビードロ細工やカラクリ仕掛けなど趣向を凝らしたモノもあるんですよ」。もともと欄間などの木彫を主な仕事としている酒井さんは、博多の豪商、末次興善が長崎に建てた町といわれている興善町の傘鉾を担当し、その傘鉾に八足に烏帽子、鈴を頂き、両側に紅葉を配した意匠を施しているという。
「傘鉾は360度、どこから見られてもイイように製作しなければなりませんので、装飾のバランスには気を使いますね。その感覚は華道の花を活ける感覚と同じなんですが、そこには製作者の想いも込めなければ、決して美しい傘鉾には仕上がりません」。そんな何よりも美しさが求められる傘鉾だが、酒井さんは美しさのみでなく、機能性にも工夫を凝らしているという。
「傘鉾は重量が100キロ以上もあるんですが、見た目を重視して製作しますので、どうしても前の方が重くなったり、後ろの方が重くなったりして、重心が真ん中にくることが少ないんですよね。ですから私は、なるべく担ぎ手が持ちやすくなるように、少しでも軽い材料を使ったり、柱の中を空洞にしたり、見えない部分に工夫を凝らすように心がけています」。当初はいたって単純なモノであったが、江戸中期以降、それぞれの町で競い合うかのように装飾が大きくなり、江戸後期以降、現在の形に収まったといわれる『長崎くんち』の傘鉾。その重量を一人で支える傘鉾だからこそ、酒井さんは、美しさに影響を及ぼさない、見えない部分を軽くする工夫を大事にする。
「見た目を重視しますからバランスが悪くなることは、ある程度、仕方がないんですよね。ですから作る時はなるべく軽めに。見た目は重たく見えますが、実際は少し軽いですよと。それでも100キロ以上あるモノを担いでもらう訳ですから、私たち製作者も努力が必要ですよね」。毎年10月7日から9日まで開催される『長崎くんち』。その3日間を華やかに彩る傘鉾に「ふとうまわれー」と掛け声を飛ばす観客たちの熱狂の裏には、酒井さんのような職人たちの見えない工夫や努力、そして優しさがあった。

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