『薩摩焼』を代表する伝統工芸『龍門司焼』の窯元『龍門司焼企業組合』の川原史郎さん。『龍門司焼』は、1598年に朝鮮半島より渡って来た朝鮮人陶工によって始められた『古帖佐焼』の流れを汲む窯で、1688年に桜島を南に望む山ふところに築かれて以来320年以上の歴史を誇る。
「大衆の日用雑器として焼かれた『黒もん=黒薩摩』のひとつである『龍門司焼』は、黒を主体に県の無形文化財に指定された『三彩』をはじめとする鮮やかな色調の『青流し』や『玉流し』、そして、全国的にも珍しい『鮫肌』や『蛇蝎』と呼ばれる蛇のような模様が特徴で、多彩な天然釉薬が生み出す、素朴ながらも優美な品格をもった焼物として世に親しまれています」。川原さんは『龍門司焼』の陶工であった父の背中を見て育ち、中学生の頃には自分が受け継ぐと決意。三重県で3年間修行をした後に、昭和50年に地元に戻ってきたという。
「修行時代に外の世界から『龍門司焼』を見ることができたのがいま、大きく役立っていると思います。客観的に見ることで、『龍門司焼』の魅力の本質を知ることができましたからね」。そんな修行時代に川原さんは、とにかく早く、そして、数をこなすことを心がけたという。
「仕事のスピードが上がるということは、仕事の流れが良くなるということですからね。そして、数をこなし手が仕事を覚える頃には、自然と形も整うようになるんですよね」。そんな『龍門司焼』の原点は自然のモノから作ることにあり、その原材料となる粘土や釉薬は、いまもすべて地元の自然から人力で採取されているという。
「自分たちで原材料を取りに行くことは、時間もコストもかかることですが、そこが大事なんですよね。『龍門司焼』の魅力は、そういった陶工たちの手間暇を惜しまない姿勢の中にもありますので、我々は、いまも4キロ四方の山から自分たちの手で原材料を採取し、登り窯で焼き続けています」。『龍門司焼』が『龍門司焼』である為に、どんなに文明が発達しようとも、安易な方向に流れることはないという川原さん。しかし、川原さんが守ろうとする伝統は、何も堅苦しいだけのモノではない。
「よく伝統を守ると言いますが、守ると考えると負担になったり、重荷になったりするんですよね。ですから我々は、伝統というのは先人たちが作ってくれたひとつの舞台だという風に考え、その舞台の上で、どういう演技、パフォーマンスをするのかということを意識しながら作品と向き合っています。『龍門司焼』の場合は、原材料や技法は先人たちが作ってくれた舞台ですから、そこを変えることは出来ません。しかし、昔と今ではお客様の感性も違いますから、デザインや使い勝手などはお客様の意向を反映させた作品を作っていくと。その中に自分の意思を入れながら、次の世代へと繋いでいくことが、本当の意味で伝統を守ることだと思います」。伝統という名の舞台の上で、日々、土と対話しながら、いまの時代を生きる陶工の感性を表現する川原さん。そうして生まれる『龍門司焼』は、時代時代で輝きを放ちながら、次の時代へと受け継がれていく。
「ただ伝統というのは、時代時代で取捨選択し、良い部分だけを残してきた結果、受け継がれてきたモノですから、古い『龍門司焼』もよく見つつ、なおかつ新しい取り組みをしていくことが大事なんですよね。伝統を踏まえた原材料や技法で、それを感じさせないようなモノを作っていくことが我々の使命だと思っています」。そんな川原さんの座右の銘は『最高で最大のライバルは我なり』。やるもやらないも本人次第だという川原さんの手からは、これからも『龍門司焼』の新たな伝統が生み出されることだろう。
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