有田焼の三様式の一つ『柿右衛門様式』を確立し、有田焼の礎を築いた名窯『柿右衛門窯』の十五代酒井田柿右衛門さん。色絵磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)であった十四代の跡を継ぎ、2014年に十五代を襲名。『柿右衛門様式』の最大の特徴である『濁手(にごしで)』と呼ばれる乳白色の白磁に、野山に咲く草花や鳥を描いた繊細な色絵の中にある調和の美を追求する。
「『柿右衛門様式』は1643年に初代が、日本で初めて磁器の上絵付に成功して確立した有田焼の様式の一つなのですが、それにより今日、赤絵とも呼ばれる色絵磁器の技術が発達したといわれています」。その後、1659年にオランダ東インド会社によってヨーロッパに向けた有田焼の輸出が始まるが、『柿右衛門様式』は特に王侯貴族の間で人気を博したという。
「私は17世紀の『柿右衛門様式』に惹かれるのですが、当時の名品は器を埋めつくす色絵の構図が緻密で、とても迫力があるんですよ。そのようなデザインが当時ヨーロッパで流行していた『バロック様式』の建築物に合ったのかも知れませんね」。しかし色絵の流行の変化やヨーロッパへの輸出量の減少に伴い、江戸中期に伝統ある『濁手』の技術は消滅。昭和初期に十二代と十三代が試行錯誤を重ね、再現することに成功したという。
「先代たちが築いてきた伝統を重圧に感じることはありません。同じ焼物を作ったとしても、作る人間が変われば間違いなく変わりますからね。ただ『濁手』に代表される『柿右衛門窯』の技術と原料はきちんと継承し、次の世代に受け渡すことも私の使命だと思っています。その上で十五代として、新たな表現にも挑戦していこうと考えています」。現在、重要無形文化財保持団体『柿右衛門製陶技術保存会』の会長を務める十五代は、その『柿右衛門窯』の伝統を継承しつつ、17世紀の『柿右衛門窯』がそうであったように、積極的に海外の文化を取り入れながら、十五代としての表現を模索中だという。
「先代の十四代は『自分は柿右衛門という木から生えている枝です』と言っていたそうなんですよ。自分の焼物が良ければ枝ぶりも良くなり、そうでなければ悪くなりますが、最終的に柿右衛門という木が枯れてしまうことはないのだと。ただそれぞれの代が評価されて、その枝が伸びたり、伸びなかったりするだけだという先代の話を聞いて、私も少し気が楽になったんですよね。そのように『柿右衛門』の伝統は、それぞれの代で完結したモノですから、私もなるようにしかならないという気持ちで、今は気負うことなく焼物と向き合っています」。2016年に創業から400年を迎える有田焼の歴史と共に歩んできた『柿右衛門』という伝統は一本の木であり、そこに代を継いだ者たちが、その時代の感性で、様々な太さ、形をした枝を伸ばしてきたという十五代。そんな多様な魅力を備えている『柿右衛門』という大木は、400年を経てこれからも瑞々しく、大きく育ち続けることだろう。
「先代は余白の美を大事にしていましたが、私は調和の美を大事にしています。私の好きな17世紀の焼物は今のモノと違って、色絵と生地の馴染み具合が凄く気持ちいいんですよ。現代の焼物と比べてバランスが違うな〜と思っていまして。ですから私はそのような色絵と生地の調和、バランスを意識して、また面白い焼物を生み出せたらと思っています」。今後も様々な人、物、風景などとの出会いを通じて、その中から生まれる調和の美を、人生の後半に完成させたいという十五代。まるで伝統のプレッシャーを受け流すような軽やかな出で立ちで周囲と調和する十五代の座右の銘は、まさに『調和』という言葉そのものだった。
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