匠の蔵~words of meister~の放送

辺銀食堂【沖縄料理店 沖縄】 匠:辺銀暁峰さん
2011年10月15日(土)オンエア
食べるラー油の元祖「石垣島ラー油(石ラー)」の製造で知られる沖縄料理店「辺銀食堂」の代表、辺銀暁峰さん。中国・西安に生まれ、中国を代表する映画監督、チャン・イーモウ氏のもとでスチールカメラマンを務めた後に来日。雑誌編集者であった日本人の愛理さんと結婚後、99年に石垣島へと移住する。「来日後に東京のような大都会で働くことに違和感を覚えていた頃、妻が石垣島のサトウキビの繊維を原料にした和紙に魅了され、移住を決意したんですよね。石垣島のチャンプルー文化が西安と似ているという点も好印象でしたね」。東京では健康雑誌を担当していたこともあり、豊かな自然の残る土地で、自然と健康をコンセプトにした食堂を出したいという夢があったという辺銀さん。そうして辺銀さんは飲食店で、愛理さんは郷土料理店で働きながら夢への第一歩を踏み出す。「中国では、どこの家庭にもラー油があり、具と一緒に食べていました。しかし、日本では一番美味しい具が捨てられたラー油しかありませんでした。そこで、最初は自分たちが食べる為のラー油作りを始めたんですよ」。島とうがらし、ピパーチ(島胡椒)、ウコンなど、石垣島で採れる13種類のスパイスを活用して作られたラー油は、やがて東京・銀座にある沖縄県の物産公社「わしたショップ」でも売られるようになり、爆発的に大ヒット。現在も予約が半年以上待ちの状態が続いている。「最初、美味しいと言ってくれた知人に勧められ、地元商店街のイベントに出品したのですが、ジャムの瓶50本に詰めたラー油が、たった2本しか売れませんでした。しかし、その時に出会った『わしたショップ』の店長が、『美味しいので、もっと作って下さい』と言ってくれたんですよね」。当時は地元の店に置いて貰うことも断られていたという「石垣島ラー油」。しかし、大ヒットと共に多くの地元企業がラー油を置かせて貰えるように、辺銀さんのもとへお願いに来るように。「石垣島に恩返しがしたいという想いは強いのですが、島胡椒などのラー油の素材は、大量生産できるものではありませんので、すべてのお店に置いて貰うことが、なかなか出来ないんですよね。ですから島のアーティストを応援したり、イベントを開き島の名産品を紹介したり、ウチが出店することで人が集まるのならと、県外の物産展にも積極的に顔を出すようにしています」。現在では若干ブームは収まったが、大企業がこぞって食べるラー油を発売するなど、周囲の環境が劇的に変化したこの10年。しかし、辺銀さんのスタイルは少しも当時とは変わらない。「周りのブームとかは、あまり意識していないんですよね。ウチは10年間、大きな変化もなく、毎日作ってお客さんに送って、その同じ作業を繰り返しているだけなんです。作るレシピも材料も作る人も同じ。ウチはウチのスタイルで、味を守って、責任を持ってやっていけばいいのかな〜と。ウチの商品をすべてのお客さんに届けることは不可能ですし、それぞれの企業が切磋琢磨することで、お客さんの選択肢が増えるのはイイことだと思います」。自らの仕事にキチンと向き合っていれば、周囲がどう変化しようが惑わされることはない。分かってはいるが、これだけのブームの中で、どれだけの人が変わらずにいることが出来るのだろうか。しかし、大らかに語る辺銀さんの笑顔は石垣の強い陽射しの中で、まぶしく輝いていた。

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