都城市民から絶大なる味の信頼を得ている老舗パン屋『エクセルナカシマ』の2代目、平部直哉さん。九州のパン文化の師と呼ばれる祖父、中島利吉氏の技と精神を受け継ぎ、今も石臼で挽いた小麦粉で、1日に1000個ものパンを焼き続ける。
「祖父の中島利吉は、大正9年に『中島パン』を創業し、都城市で最初に『アンパン』の製造・販売を始めた人物なのですが、この店は、そんな祖父の店で働いていた父が昭和47年に独立して、宮崎県初のオープンベーカリーとして開いたものなんですよ。現在は店舗だけではなく、学校や病院、スーパーなどでもパンを販売しています」。平部さんは大学卒業後3年間、スポーツメーカーで営業の仕事に従事した後、東京のパン屋『青山アンデルセン』に転職。同僚に負けられないという想いを胸に、人一倍修行を重ね、現在は2代目として店を切り盛りしているという。
「祖父からは自分の都合ではなく、パンの都合に合わせるようにと教えられました。パンは同じ配合で同じ手順で作っても、毎日、微妙に出来上がりが違ってくるモノなんですよね。それを早く仕事を終わらせようと作り手の都合で作っても絶対に美味しいパンは出来ません。その違いを一番、敏感に察知するのが、毎日来ていただくお客様ですよね。僕たちの仕事はお客様が審査員ですから、毎日、気が抜けません」。パンの味を決めるのはパン自身であって、作り手はそのパンの声に耳を傾けながら製造しなければならないという平部さん。しかし、平部さんが祖父から合わせるように教えられたのは、何もパンの都合だけではない。
「後はお客様が欲するパンを作るということですよね。都城のような田舎で農作業の合間に『フランスパン』を食べるかといえば、想像しにくいですよね。やはり、そのようなお客様は『アンパン』のようなパンを欲すると思うんですよ。しかし、それはよくよく考えると、当たり前のことを当たり前にやりなさいということなんですよね」。現在、あの東国原元知事もお気に入りだという、ふんわりソフトな菓子パン生地に、オリジナルのシュトロイゼル(そぼろ)をトッピングした『ラグビーパン』を始め、噛めば噛む程に小麦粉の甘みが口一杯に広がる『バゲッド』など、客の嗜好に合わせた70種類ものパンを製造する平部さん。そのパン作りにかける想いは、我々がもつ既成概念までをも打ち破る。
「最近は天然酵母を使えば何でも美味しいというように、天然酵母が一人歩きしている風潮があるのですが、いわゆる一般的なイースト菌も実は天然酵母なんですよね。ですから私の店では、それぞれのパンに合う酵母を選択して使っています。よく天然酵母で『クロワッサン』を作るという話を聞きますが、僕たちからすれば、それは違うと思うんですよね。よく天然酵母に『こだわる』という話を聞きますが、僕はその『こだわり』という言葉が嫌いなんですよ。『こだわり』という言葉には、ひとつのことにとらわれて、身動きができなくなるというイメージがあるんですよね。この酵母だと決めたら、その酵母しか使わないというのではなく、僕らがパンを作っている間に、メーカーさんも色々と研究を重ねて良いモノを出して来ますから、僕はそれをはなから受け付けないというような頭の固い人間にはなりたくないんですよ。その中で、もし、今まで使っていた酵母よりも良いモノがあれば、当然、使っていきたいですからね」。美味しいパンを作る為にあるはずの『こだわり』が、パンの可能性を奪ってしまっては意味がない。何事も良いモノすべてを吸収しようとする仕事は、本当は『こだわる』以上に難しい。
「よく、こだわりを聞いてみると、それって当たり前のことじゃないのっていうことが結構、あるんですよ。ですから僕は『こだわり』という言葉が嫌いなのかも知れませんね。僕の中で『こだわり』という言葉を言い換えるなら、それは『譲れないモノ』ですね」。夢はパンを夕食に食べる文化を日本に根付かせること。その為には、パンの種類を現在の70種類から100種類に増やしたいという平部さん。『譲れないモノ』を胸に秘め、日々、歩み続ける平部さんが、その夢を叶える時、日本の食文化はさらに多様性に富んだモノとなるだろう。
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