八重山地方で育まれた伝統工芸品『八重山ミンサー』を製造、販売する『あざみ屋』の代表、新賢次さん。素材が木綿、組織が平織り、生産地が石垣市と竹富町とする『八重山ミンサー』は、『いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く』という想いが込められた、五つと四つの絣柄が最大の特徴の織物で、新さんは、その絣柄に込められた伝統を守りながら、時代に即した商品も提案する。
「『八重山ミンサー』の原型は、近年まで竹富島に残っていた藍一色の『ミンサーフ(ウ)』という帯で、かつてはこの帯を婚約の印として女性が男性に贈っていたそうです」。そんなロマンチックないわれのある『八重山ミンサー』は、琉球王朝時代に生まれるが、時代の移り変わりと共に一時期衰退。しかし沖縄が日本復帰を果たす直前、それまで洋裁店を営んでいた新さんの母、絹枝さんが「地元に産業を興したい」と、『八重山ミンサー』を復興させたという。
「母は着物から洋服の時代となった現代に『八重山ミンサー』を復興させる為には、帯だけでは駄目だと、巾着袋やバックなど現代のライフスタイルに即した商品も製造しました。そして、それらの商品が八重山を訪れる新婚カップルの間で注目されて、『八重山ミンサー』を再ブレイクさせることができたんです」。後に『現代の名工』に認定された絹枝さんの手によって復興した『八重山ミンサー』。その洗練されたデザインが施された数々の商品は、伝統と革新の『八重山ミンサー』として今も進化の歩みを止めず、美しい赤瓦の屋根が映える石垣島の中心部にある『あざみ屋』の施設『みんさー工芸館』などで製造、販売されている。
「伝統や技術というのは、基本的に多くの人々に使って頂いて初めて守れるモノですからね。我々は常に工夫をして、お客様に使って頂ける商品を作らなければなりません。しかし、ただ使って頂ける商品ばかりを追い求めるのではなく、こちらから『こんな商品はどうですか?』と、お客様に提案することも忘れてはならないんですよね。特に最近のファッションの流行は1年単位で変化して、今年のデザインが来年はもう古いという状況じゃないですか。ですから常に一生懸命考え続け、次は次はと新しいデザインを生み出していくことが、我々の仕事の宿命だと思っています。そして、それは大変なことですが楽しみでもあるんですよね」。伝統工芸品を現代の人々にも使ってもらえるように、客のニーズに合わせたモノづくりは大事だが、専門家である以上、提案する努力も怠るべきではないという新さん。そうして進化し続ける『八重山ミンサー』は、その五つと四つの絣柄に込められた想いと同じく、『いつの世までも末永く』愛されていくことだろう。
「我々、作る者の想いは『八重山ミンサー』の五つ四つの絣柄に込めています。ですから、それを使って下さる方にも、そんな想いを少しでも感じて頂けたら幸せですよね」。現在、石垣島では道路やビルの壁など様々な場所に、この五つ四つの絣柄がペイントされ、観光客のみならず地元の人々の目をも楽しませているという。
「我々が目指しているのは中道です。用の美を追求した工業製品と、デザインの美を追求した芸術品との中道、真ん中の商品を作っていこうと。『八重山ミンサー』は手仕事で製造されるモノですから、当然、工業製品のように大量生産はできません。しかし高価で飾られるだけの織物でもありたくないと。使い勝手も芸術性にも優れた商品を製造し、もっと多くの人々に使って頂いて、『八重山ミンサー』を、そして、その絣柄に込めた想いを知って頂きたいと願っています」。
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