久留米市を流れる筑後川の河岸で、高品質の錦鯉を生産する『尾形養鯉場』の代表、尾形学さん。錦鯉の美を競う世界大会ともいうべき全日本錦鯉品評会の第21回大会で、総合優勝を獲得するなど、毎年、卓越した生産技術で、様々な賞を受賞。その美しい模様をした錦鯉は、日本のみならず海外でも高く評価され、毎年秋になると世界中の人々が『尾形養鯉場』を訪れるという。
「中学時代の恩師の影響から鯉に興味を持ち始め、専業農家だった実家の休耕田に、鯉の稚魚を放ったのが始まりなんですよ。その後、これを一生の仕事にしたいと思うようになり、高校卒業と同時に錦鯉の生産の本場である新潟に修業に出たんですよね」。新潟では老舗の養鯉場『和泉屋養鯉場』で、『錦鯉の神様』と呼ばれる間野一郎氏に6年間師事し、久留米に帰郷。尾形さんは田んぼを処分した場所に池を作り、親鯉を仕入れ、本格的に錦鯉の生産をスタートしたという。
「最初は40アールの敷地で個人経営として始めたのですが、私は80年代から錦鯉の輸出に目を向けて事業を展開し、徐々に規模を拡大することができました。いまでは9割以上の錦鯉が海外に輸出されています」。その美しさから海外では『泳ぐ芸術品』と評され、年々、輸出規模が拡大している錦鯉。そんな錦鯉の輸出の先駆者である尾形さんは、いまではヨーロッパ、北米、東南アジアと、その販路を広げ、日本の美の真髄を海外に広める広告塔の役割も果たしている。
「美しい錦鯉というのは、人が手をかけて何回も何回も選別を重ね、淘汰されていった末に、やっと生まれるモノなんですよね。それは本当に何十万匹、何百万匹に1匹の確立なんですよ。そんな世界ですから、やはりどういう親鯉を使い、どういう鯉を生産したいのかという目標をもち、こだわりを持って仕事をしないと決して美しい錦鯉は生まれないと思います。とりあえず餌をあげて、とりあえず大きく育てたら、たまたま美しい錦鯉が生まれたなんてことはあり得ないんですよね。本当に一生懸命に頭を悩ませながら育て、それでもなかなか美しい錦鯉は生まれないという世界ですからね」。養鯉の仕事は決して偶然はないという厳しい世界。だからこそ尾形さんは、「こだわりなき仕事からは、求める結果は生まれない」と断言する。
「まず親鯉の選定と組み合わせが大事ですよね。この鯉とこの鯉を掛け合わせて、どういう鯉を作ろうかと。そして、そういう鯉を作る為に、どういうエサや水質が必要なのかと。こだわる部分は本当にたくさんありますよね」。日々、そんなこだわりを持って仕事に臨み、世界中の人々を魅了する唯一無二の美しさを錦鯉に纏わせ続ける尾形さん。その座右の銘は『挑戦』という、いかにも尾形さんらしいシンプルな言葉だった。
「去年と同じことを今年しないように。そして、昨日と同じことを今日しないようにしようと。そうやって常に新しいことに挑戦しながら、少しずつ伸びていけたらいいなと思っています」。
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