長崎県の壱岐で、今やブランドとなった壱岐牛を肥育する「野元牧場」の野元勝博さん。日本農業優秀賞など、数多くの賞を受賞している野元さんは、平成6年から奥さんの芳枝さんと夫婦二人三脚で牧場を始め、現在では、壱岐牛を220頭も肥育する、大規模肥育農家に成長させた人物だ。「壱岐は平安時代に使われていた牛車の牛の産地なんです。ですから、歴史的にも牛の産地という訳ですね」。しかし、ここ最近までの壱岐牛は、生後12カ月未満で出荷され、それが各地のブランド牛に変化するという、いわば子牛の供給地でしかなかった。しかし、野元さんは、「口の中に届くまで責任がある」と、子牛を売りっぱなしにするのではなく、肉牛となるまで肥育する道を選んだ。「今でこそ評価して頂いてますけど、最初、壱岐牛は、全国で最下位に近い評価だったんですよ」。野元さんは、現在のようなブランド牛に成長させる為に必要だったことは、味もさることながら、それ以外の部分も大きかったいう話をしてくれた。「モノを売る時は、やはり安定的な供給というのが求められるんですよね。牛というのは、60頭肥育すると年間出荷頭数が36頭ぐらいなんですよね。200頭肥育すると120頭なんです。120頭出荷出来るとういう事は、月10頭、週にして2頭ぐらいですね。そのように定期定量の出荷していかないと買って頂けるかどうかの評価を受けないんです。あそこは今月は出てくるけど、次は3カ月先しか出てこないちゅう事じゃあ、生産物としての評価が薄い訳ですよね。ですから、ポイントという言い方かも知れませんけれども、定期定量を目指すという事が我々の目標だったんですよね」。脂もさることながら旨みがのっている野元さんの壱岐牛。芸術的な美味しさではあるが、忘れがちなのは、それが生き物だという事。作品的にとられがちなブランド牛だが、ちゃんと商品である事を忘れてはいけない。「県の農業賞とかは、ほとんど夫婦二人で頑張ってるんだよって事で、夫婦の連盟になってるんですよね。農業は夫婦二人でやらんと中々上手くはいかんでしょうね」。そう言う野元さんは、素敵な事ですよねとの問いに「ほとんど女房ですよ。はははは…」と照れながら笑った。
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