2003年に重要無形文化財『献上博多織』技術保持者(人間国宝)に認定された博多織職人、小川規三郎さん。『献上』とは博多織を代表する柄の呼称で、江戸時代、黒田藩が幕府への献上品として納めた博多織の模様(仏具の独鈷と華皿の結合紋様の中間に縞を配した模様)のことをいう。小川さんは戦後の1951年より人間国宝である父、小川善三郎氏に師事。その父から技術を受け継いだ献上柄を基礎としながらも、そこに創作柄を組み合わせた革新的な作品を次々と発表し、日本伝統工芸展、日本工芸染色展などで数々の栄誉に輝き、親子二代で人間国宝に認定されたという。
「博多織は鎌倉時代に満田弥三右衛門という人物が宋から技術を持ち帰った絹織物で、770年以上の伝統を誇ります。江戸時代に太平の世が訪れ、人々がオシャレをする余裕が生まれたことから急速に盛んとなって全国に広まっていきました」。そんな博多織の特徴は、細い経糸を多く用い、太い緯糸を筬(おさ)で強く打ち込み、主に経糸を浮かせて柄を織り成すところにあるが、小川さんはその経糸で様々な模様が生み出せるように取り組んできたという。
「私はよく自然の中から様々な模様を博多織の中に取り入れています。例えば5月になると藤の花が咲きますよね。山へ行くと木漏れ日がこぼれる鬱蒼とした竹林の間に、その藤の花が下がっているんですよ。そんな言葉にするだけでも絵になるような自然の風景を切り取ると、本当に美しい模様が生まれるんですよね。しかも自然を見るのに一切、お金はいりませんからね」。モチーフは常に自然の中に転がっていると、2度と同じ表情を見せることのない自然が織り成す美しさを博多織の中で表現する小川さん。しかし、ただ見るだけでは、その美しさの本質を読み取ることはできないという。
「ただ見るだけではなく、もう一歩踏み込んで見ないとダメですね。ぼんやりと見るのではなく、その風景を何度も何度もひっくり返して、さらに隅から隅まで見てやろうという気持ちが大事です。それはどれだけ自分が好奇心を持っているのかというバロメーターの一つにもなるんですよ。人間は何事も頭で考えますが、その頭のことを『しゃれこうべ』と言いますよね。まず好奇心を持つこと、そしてオシャレをすること、勉強すること。この3つの言葉が組み合わさって『しゃれこうべ』だと思っていますから、私は若い博多織職人の後継者たちにも、この3つのことの重要性を必ず説いています」。十数年前より九州産業大学の名誉教授を務めるなど、後進を育てる活動にも尽力し、彼らが紡ぐ博多織の未来は明るいと目を細める小川さん。その博多織は、これからも伝統と革新の絹織物として、時代、時代で人々の生活を豊かに彩り続ける。
「今は地球の裏側の情報まで入ってくる時代ですよね。そんな時代にいつまでも過去に縛られていては、どんなモノも廃れてしまいますよね。ですから我々、伝統を受け継ぐ者は常に新しい風を吹き込み、その時代に合ったモノをつくっていかなくてはなりません。続くから伝統であって、途絶えてしまえば歴史です。我々は伝統を歴史にしてはならないんですよ」。現在は『HAKATA JAPAN』という商標のもと、帯や緞帳などはもとより、洋服、バッグ、財布、ネクタイなど、現代のライフスタイルの変化に合わせた新しい展開をみせる博多織。今年80歳を迎えるという中、今もそんな博多織のトップランナーとして走る小川さんは、先日『きもの蝶屋』が企画したプロジェクト『イマジンワンワールド』に参加。これは『東京オリンピック・パラリンピック』が開催される2020年に向けて、世界196ヵ国のイメージを日本の伝統文化の象徴といえる着物で表現しようという企画で、小川さんはカナダをイメージした博多織の帯を担当。国花のカエデやナイアガラの滝など、カナダの自然をモチーフとして帯の柄に取り入れたという。
「織物の世界では分業制を取り入れる現場が多くなりましたが、私は一人ですべてをつくってこそ一人前の本当の職人だと思っています。私は織始めに必ず自分の銘を博多織の中に入れるのですが、それは自分自身がこの作品のすべての責任をもつという覚悟でもある訳ですよ」。そんな高い志によって生まれた圧倒的な美しさを誇るカナダ帯を始めとする博多織で、今も人々を魅了し続ける小川さん。その座右の銘は、『ニコニコ、コロコロ、ハキハキ』という、その作品同様に人々を魅了する小川さんの人柄を表しているかのような何とも可愛らしい言葉だった。
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