匠の蔵~words of meister~の放送

美藍窯【陶工 大分】 匠:河原畑伽兆さん
2014年11月08日(土)オンエア
『九州信楽焼』と称し、日本六古窯の中でも最古の窯場として1300年の歴史と伝統をもつ『信楽焼』の技法で九州の土を焼く陶工、河原畑伽兆(かわらばたかちょう)さん。大分市郊外の山間に『美藍窯(みらんがま)』という工房を構え、日本の窯の始祖ともいわれる穴窯を用い、卓越した技術と感性で、土と炎が生み出す『窯変(ようへん)』の美を確立。その日本の侘び寂びが表現された作品は、国内外で高く評価されている。
「『信楽焼』の大きな特徴のひとつは『無釉焼締(むゆうやきじめ)』による『土味』なんですよ。『無釉焼締』とは釉薬をかけずに高温で土を焼き、自然に生まれる模様や色合いを特徴とする技法なんですが、穴窯を用いると1350℃もの高温で土を焼くことが可能で、そんな高温で5日間、土を焼き続けると、土が溶けて流れ出し、そこに灰がかかることによって独特の美が生まれるんですよね」。陶芸の世界では、そのように窯の中で予期せぬ色や形に作品が変化することを『窯変』という言葉で表現するが、河原畑さんはその『窯変』もコントロールするのがプロだという。
「たまたま出来たモノを『窯変』という言葉で表現しますが、僕はあまり使わないんですよね。何故ならその『窯変』も狙っているからなんです。アマチュアの陶芸家はたくさんいますが、彼らは一発でもホームランを打てば成功なんです。しかしプロは食べていく為に、常にヒットを打ち続けないといけないんですよね。偶然にできたモノを売り続けていては、長続きする訳ありませんからね。もちろん偶然に出来たモノもたくさんあります。しかし、僕はそれを偶然とは思わずに、その偶然を経験値として、次にはもっと良いモノを目指そうと思うんですよね」。宝くじに当たるような偶然を、ただ待っているだけの仕事は簡単だが、それでは本物のプロとは呼べない。良くて必然、悪くても必然と、自らの仕事の結果すべてに責任を持ち続けるからこそ、河原畑さんの作品は進化し続ける。
「例えば僕が使っている穴窯は、非常に窯の力が強いモノですから、造形も5割で止めるんですよ。窯の力が50ありますから、私の力も50に抑えて100にすると。そこに80のモノを入れると130になってヤラしさが出てしまうんですよね。ですから、そのように『窯変』も計算した上で作ると。『窯変』に逃げていたり、『窯変』でごまかしたりしていると、自分の身にならないと考えていますので、僕は『窯変』は、あくまでも後天的なモノだと考えています」。現在は『滝』をテーマに、高熱によって溶けだした土が生み出す模様の美しさを追求する河原畑さん。その根底には、常に日本があるという。
「簡単にいってしまうと侘び寂びなんですが、僕は常に日本を意識しているんですよ。僕は時間がある時に、よくジャイカの指導員として、アフリカや東南アジアなどに行くのですが、そこで気付いたのは、日本の技術というのは、やはり世界に冠たるモノだということなんですよね。特に焼物の技術は世界でも類をみないほど素晴らしいんですよ。じゃあ日本の焼物と世界の焼物と、どこが違うのかというと、侘び寂びなんですよね。僕は古いモノも新しいモノも大好きです。ですから僕の目指しているのは、日本の古いモノを見て、その侘び寂びなどのエッセンスを頂いて、自分のフィルターを通して新しいモノを作るという仕事なんですよね」。自らの長所をキチンと知ることの重要性は、ビジネスの世界に限らず、よく語られるが、侘び寂びを愛する心をもつ日本人としての長所を意識した河原畑さんの仕事は、『温故知新』という言葉がよく似合う。
「僕はアメリカのテキサスにもワークショップで行ったことあるんですが、彼らは日本語の侘び寂びという言葉を知っていて、それを目指しているというんですよね。常に古い侘びたモノと、ひなびた寂びたモノを愛する日本人の心は凄いんだっていうんですよ。それはちょっとビックリしましたね」。
そんな侘び寂びを愛する日本には、その土地土地に小さな窯がたくさんあり、そんな地元の窯の作品をもっと使ってもらいたいという河原畑さん。その話は、我々日本人が、外側ばかりではなく、きちんと内側にも目を向けることの大切さに気付かせてくれるモノだった。

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