匠の蔵~words of meister~の放送

小石原焼 ちがいわ窯【小石原焼 福岡】 匠:福島善三さん
2016年03月12日(土)オンエア
紫綬褒章や日本陶磁協会賞を始め、数々の工芸展で賞を獲得し、その作品が宮内庁や美術館に収蔵されるなど高い評価を受けている『小石原焼 ちがいわ窯』の福島善三さん。1682年の開窯以来、民藝の雄として発展してきた小石原焼の窯元の16代目として生まれるが、『刷毛目』や『櫛目』、『飛び鉋』などの技法で知られる小石原焼の伝統を踏襲するだけでなく、独自の造形美と釉薬の美しさを追求。『中野月白瓷』『鉄釉』『赫釉』『中野飴釉』シリーズに代表される芸術性の高い数々の作品を世に送り出す。
「小石原焼の技術は昭和までの約300年間、『一子相伝、分家ならず』という掟で守られてきた為、窯元も8軒と少なかったのですが、その後の民藝ブームを追い風に一気に50軒まで増えて、作品に個性がなくなってしまったんですよ。大学卒業当時は『飛び鉋』さえあれば売れる時代だったのですが、僕はどうせなら自分だけのモノを作ろうと。皆と同じでは面白くないと考えたんですよね。特に僕は最初から個展の開催や工芸展への出品を意識していましたので、そういうところへは福島善三らしさという個性がなければ絶対に出品できませんからね」。そうして何度も何度も失敗を繰り返しながら長い年月をかけて自らの個性を確立し、今では『小石原焼 ちがいわ窯』という窯名の他、『小石原』という地名さえも個展で掲げることがなくなったという福島さん。しかしそれは決して小石原焼と決別したという意味ではないという。
「よく人から『小石原焼らしくない作品だね』と言われますが、僕は小石原の中野で採れる陶土を用い、釉薬の原料となる長石、木灰、ワラ灰、鉄鉱石などの原材料の殆どを小石原の地で準備しています。それは材料を変えなければ小石原焼の匂いが必ず作品に残るからなんですよ。僕はあくまでも小石原焼の作家ですから材料と技術は、ここ小石原がベースにあるべきだと思って作陶しています」。そんな小石原焼の匂いを残しつつも他の小石原焼の作品と一線を画す福島さんの作品は、いつしか福島善三焼と呼ばれるように。
「僕は作家の手間が見えない作品作りを目指しています。手間が見えてしまうと人は『うわ〜手間がかかっているな〜』と、作品そのモノの美しさでなく手間を見てしまうんですよね。ですから手間をかけているのですが、その手間を見せない作品を作りたいと。しかも誰かがこれを真似してみようと思った時に、『よくこんなのができたな〜』と思われるようなモノを作りたいと常に思っています」。福島さんが目指すのは、民藝の温かみとは対極にある、人が目の前で対峙した時に息を呑むような圧倒的な感動を与えることのできる作品作り。そんな手間を見せずに作品そのモノの美しさで勝負する福島さんの作品は、その潔い志のような凛とした清涼感を纏い、多くの人々を魅了していた。
「伝承と伝統は違います。伝承は変わらぬモノですが、伝統は変わっていくモノだと思います。例えば小石原で『飛び鉋』の技法が始まったのは、今から80年〜90年前のことですが、それは3百数十年の小石原焼の歴史の中のたった4分の1の期間にしか相当しないんですよ。そんな80年〜90年前に始まった時は最新の技法だった『飛び鉋』が、現在は既に小石原焼の伝統になっていますよね。ですから僕が今やっている色んなこともマズければ淘汰される、良ければ後輩が受け継いでくれて伝統になるかも知れないと信じて日々、挑戦を続けています」。そんな福島さんは個展や陶芸展には、窯の中で作家の予期せぬ色や形に変化する『窯変』によって生まれた作品を出品することはないという。
「窯変によって偶然に生まれた素晴らしい作品は、1個しかない、2度とできないという希少価値から商品としては良いのかも知れませんが、作品としてはダメなんですよ。何故なら再現できなければ、それは自分の技術ではありませんから、それを自分の作品ですとは言えないと思っています。10個作って1個、20個作って1個でも取れれば作品にすることはできますが、次にいつできるか分かりませんというモノは作品ではなく商品だと思っていますから、僕はそれを発表することはないですね」。しかし福島さんはそうやって生まれた偶然が、必然となるように努力することで、自らの技術を磨いてきたという。
「窯変モノといいながらも、それを仕込んで生み出す人と、本当に偶然に、窯任せの人とがいますが、僕は前者でありたいと常に思っています」。そんな福島さんは近年、後進の指導にも積極的に取り組んでいるそうだが、誰でも何年も続ければある程度のレベルまで到達する技術と違い、個人差が大きいといわれるセンスを磨く方法は、意外にもシンプルだという。
「僕はまず若い時に良いモノを見なさいと言います。これは皆さんがよく言われることだと思うのですが、そうすると良いモノが分からないという答えが返ってくるんですよ。その場合は世間で良いと言われているモノを見なさいと。それをずっと見ていると、何か違うモノを見た時に違和感を覚えるようになるんですよね。バランスが悪いなとか、描き過ぎているなとか、違和感を覚えるようになってきたということは、その分だけ目が肥えたっていうことですからね。あと見て自分がどう感じるのかという見方も大事です。例えば美術館に行って端から端まで全部見ると、若い時はお腹一杯になってしまうんですよ。ですから最初は好きなモノだけ見て帰りなさいと。全部見ようとすると理解できなくなってしまいますからね」。見ることによって真似してしまうという話をよく聞くが、福島さんはそんなことに恐れる必要はまったくないという。何故ならどんな仕事も最初は必ずモノ真似から入るモノだから。
「焼物を始め金工、木工、漆芸など、どの仕事も最初はモノ真似から入ります。ロクロを覚える時も先輩の職人の動きを真似することから始まりますからね。そういう基本もない中で、最初から個性を出そうと思っても中々、難しいですよね。ですから色んなモノを見て、その中からコッチの作品とコッチの作品を引っ張ってきて、足して2で割ればいいと思うんですよ。そんなことからも立派な個性は生まれますからね」。そんな福島さんの座右の銘は『失敗してなんぼ』という力強い言葉。「失敗は辞めてしまうから失敗になる、諦めない限り失敗は失敗ではない」と語る福島さんの言葉は、新たな小石原焼の伝統を紡ぐ先駆者としての自らの生き様を象徴していた。

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