匠の蔵~words of meister~の放送

東洋軒【とり天 大分】 匠:宮本博之さん
2010年03月13日(土)オンエア
大分名物「とり天」発祥の店としても知られる、大正15年創業の大分県初のレストラン「東洋軒」の三代目・宮本博之さん。「東洋軒」は、台湾のホテルや亀の井ホテルなどで料理長を務めていた宮本さんの祖父・四郎氏が、日本初のバスガイドの導入などで知られる別府観光の父・油屋熊八の勧めでオープン。昭和10年には台湾からも料理人を呼び集め、同時に中華料理の唐揚げと日本料理の天ぷらの特徴を併せ持つ「とり天」が誕生したと言われている。「店に残る当時のメニュー表には“鶏ノカマボコノ天麩羅”の文字が残っているのですが、その頃からウチの“とり天”は、唐揚げと違い天麩羅という事で、茄子の天麩羅やキスの天麩羅のように、日本料理の美しさが表れる短冊状で切っています。その方が観光客の方にも、やはり唐揚げとは違うという事を分かって頂けますからね」。その「とり天」は、国産もも肉をメーカーに依頼した特製の醤油、ニンニクなどを合わせた衣で揚げ、フワッとした舌触りと、しっかりとした味付けが特徴の絶品。しかし、「東洋軒」の絶品料理は、この「とり天」のみではない。「今でこそ“とり天”が話題となっていますが、初代が洋食のシェフだったことから、洋食メニューも充実しています。私も東京のイタリア料理店で修行し、店では洋食部門の料理長を務めています」。そんな店には、創業当時のままの味を求めて親子3代で通う常連客もいるという。「味を変えないと言っても、現実には当時と同じ食材を手に入れる事は不可能です。ですから今の味が85年前の創業当時と本当に同じかと言えば、確かに少しは違うかも知れません。しかし、当時と同じ製法で作る事は可能なんですよね。ですから、今は様々な便利な食材がありますが、私たちはソースやカレーのルーを作る場合でも、そのルーになる前の状態からスパイスを合わせ、粉を合わせ、オーブンで何時間も焼いて、すべて手作りしています」。創業以来、ここから巣立った多くの料理人たちにより全国に広められている「東洋軒」の味のベースは、そんな宮本さんのこだわりにより守られている。「お店に来られる年配の方などは、『お〜昔の味や、懐かしい味や』と言って下さるんですよ。人にはそれぞれ色んな思い出がありますが、味の記憶というのは、その人の中にずっと残るものですよね。料理というのは食べたら無くなるもですから、故に私たちは、その味を記憶に止めてもらうような料理を作る事を信条としています。例えば街中を歩いている時に吹いた風が、少年時代の事を思い出させてくれたり、どこからか聴こえて来た音楽が青春時代の事を思い出させてくれたり、そういう記憶は、いくつになっても甦ってきますよね。ですから、私はそんな人の心の中にいつまでも思い出として残る料理を作る事が出来たら、幸せだなと思います」。ただ「美味しい」と言ってもらえる為だけに料理を作るという人は多い。しかし宮本さんが目指すのは、そのもっと先にある、つい口ずさむ歌のように人の記憶に刷り込まれる料理...その味は確かに鮮烈だった。

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