日本伝統工芸作家として『美術年鑑』にも掲載されている屋久杉工芸の第一人者、『屋久杉工房 熊谷』の熊谷勲さん。人工的には作ることのできない屋久杉の繊細な木目と光沢を生かした家具を制作し、『全国家具連合会通産大臣賞』をはじめとする数々の栄誉に輝く。
「通常は樹齢千年以上の杉だけを屋久杉と言います。屋久杉の樹脂には防腐、抗菌、防虫効果があるため、何千年もの間、朽ちることなく生き続けられるんですよね。そして、屋久杉は作品になっても生き続け、その樹脂が作品の表面に出ることで、時間が経てば経つほど光沢で磨きがかかり、より一層、作品に表情が出てくるんですよ」。熊谷さんは就職難であった昭和35年に木工職人の道を歩み始め、大阪での修行中、23歳の時に屋久杉と出会い、その素晴しさ、美しさに衝撃を受けたという。
「修行を終えて鹿児島に戻り、いざ家具を製作しようとしたのですが、ちょうど高速道路が開通し、福岡県の大川市から鹿児島まで家具が入ってくるようになったんですよね。鹿児島の業者が製造を止め、小売に転換する中、私は自分が衝撃を受けた屋久杉に賭けてみようと考え、研究を始めたという訳です」。その後、『飾り棚』をはじめ、『椅子』や『テーブル』、『仏壇』まで、屋久杉の魅力を活かした様々な作品を世に送り出してきた熊谷さん。そんな熊谷さんには、屋久杉を取り扱う者としての一つの信条がある。
「屋久杉は数千年もの間、厳しい自然環境の中をたくましく生きてきた木ですから、本当にクセというのか個性があるんですよ、その個性を、たかだか55年しか屋久杉を触っていない私のような人間が変えたとしても、良い作品は生まれないんですよ。私たちは屋久杉の個性がそのまま輝くように、お手伝いをしているだけですよね。個性を生かさして頂くというぐらいの気持ちで、屋久杉と接しています。ですから、屋久杉の自然の特徴をなるべくそのまま生かしながら、現代の住まい、住空間に合うような作品を作ることを常に心に留めています」。自然に対して畏敬、畏怖の念をもち、あるがままの屋久杉の魅力を最大限に引き出そうとする熊谷さん。だからこそ人は熊谷さんの家具に魅了される。まるで圧倒的な大自然と対峙したかのように。
「屋久杉は、第一の生命は何千年と屋久島で生きてきましたから、第二の生命として、いかに輝いてもらえるかのお手伝いですよ」。そんな熊谷さんは、屋久杉が第二の生命として輝けるように、一切の妥協を排除して、日々、屋久杉と向き合っているという。
「北島三郎さんの『職人』という歌があるのですが、歌詞の中に、『誠を込めて、尽くした技が〜♪』という一文があるんですよ。職人は皆、誠を込めて作るのですが、誠を込めて作ったから良いのではなく、完成したと思った後にもう一手、何かすることがないのか、自分が買うとしたら、どう思うかということを考えて、もう一手を加えることが、その作品の値打ちを決めると思うんですよね。例えば1千万の作品を作ろうと思えば、1千万の価値がある材料と作りを、誠を込めてするんですよ。しかし、一生懸命作った後に、もう一手を加えるかどうかは、その人の人間性ですよね。これで良いという人もいるし、『いや〜ここをもう少し丸めた方が作品が生きる』とか、『ここをもう少し倒した方が良い』とか悩むのかは、その人の、もう本当に人間性の何者でもない訳。それが後の一手なんですよね」。決して完成して満足することなく、その先にあるもう一手を諦めない熊谷さん。そんな熊谷さんが屋久杉工芸の第一人者と呼ばれる所以は、そんな厳しく、妥協なき職人としての姿勢にある。
「私の作品は2回、3回と展示会に持っていって売れなったら、やり直すんですよ。売れないということは、誠を込めた後の一手が間違っているということなんですよね。ですから反省すべきは、すぐに反省して、作り直すと。そうして作り直した作品は、次に100%売れますからね」。屋久杉の為に、そして、それを使う客の為に、日々、歩み続ける熊谷さん。そうして誰かの為に作られたモノは、屋久杉が生きてきた時間を超えて、後世に残る力を持っている。
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