佐賀県は佐賀市で、現代の名工の証しである、「佐賀マイスター」に認定された、看板制作の工房「アサヒ工芸社」の柿原弘資さん。看板制作を始めて50年になるという柿原さんは、その昔、映画館の看板なども描いていたそうだ。「昔は白黒の写真しかなかったら、色を想像しないといけなかったんですよ。例えば西部劇でイメージするのは、夕日の赤ですよね。だから赤を際立たせて、絵そのものに感情を表現するんです」。そんな柿原さんは、図画、書写、彫刻、造型、板金、電気装飾など、マルチな技術を持っている。「昔の看板屋と今の看板屋の違いは、分業化されてしまった事でしょうね」。そう言う柿原さんは、「昔は字を見れば誰の描いた看板か分かった」と言う。「でも、商業美術は芸術ではないんです。分かる人には分かるじゃ駄目なんです。看板は、誰の目から見てもキレイで魅力的に写るものじゃないといけません」。そんな柿原さんは、看板制作だけでなく商売人としても才能を発揮していた。「絵を描くのは観察力がなかったら描けませんよね。絵はどういう風な理屈になっているかですね。商売でも同じ事ですよ。看板は外に出ている訳ですよ。だから看板の汚れた所に飛び込んで行けばいいんです。ごめんくださいって言ってですよ。そういうお客さんをかなり拾って来ました。難しいと言っても、たいした事はないんですよ。看板なんか外に出ていますからね。それと、お隣で看板を揚げると、名刺を持って行って看板を付けるので宜しくお願いしますと言って、2、3軒撒いて行くと、隣の事は気にかかる訳ですよ。しかも看板は、いつも自分の所の境界にかかっていますからね」。看板を付ける事が看板屋さんにとっての看板になるというのは、面白い道理だ。そう言う柿原さんの描く看板には、コンピューターでは出せない、人間味ある味があった。
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