豊後水道に面した佐伯市米水津。美しいリアス式海岸が続くこの地に工場を構える大正2年創業の老舗水産加工品会社『高橋水産株式会社』の代表、高橋治人さん。
高橋さんの会社では魚の旨味成分を最大限に引き出す独自の加工技術で、『刺身を超える』と称される様々な魚の干物を製造。また今年の春には漁師の保存食として古くからある佐伯市の郷土料理『赤丸寿司』を商品化。甘酢で締めた食感も心地よいネタと、甘味と酸味のバランスがとれたシャリを赤紫蘇で包んだ『赤丸寿司』は、『船が遭難しても数日は生き延びられるように』と願う、漁師の妻の愛から生まれたというドラマチックなストーリーをもっている。
「漁業資源の豊富なこの地区では、本当に鮮度の良い魚が獲れますから、我々の作っている干物はすごく贅沢なんですよ。一般の人の感覚では刺身が一番美味しくて、その次に塩焼きや煮物となりますよね。ですから干物は刺身に比べて値段が安いというのが実情です。しかし、それは我々にとっては面白くありませんよね。鮮度が良い魚に、さらに人が手を加えているのに何故、安いのかと。それじゃあ本当に刺身を超える干物を作ってみようじゃないかと挑戦したのが、今の商品たちなんですよ。これは脱水シートを使って魚のドリップを吸い取り、代わりに塩の旨味を入れるという技術で加工しています。また、そうして加工した干物に低温熟成を施すという工夫によって、さらに魚の旨味を引き出すことにも成功しました。今は魚の旬を知らない人が増えましたが、この技術を使うと冷凍保存も可能となりましたで、旬の時期に獲れた魚だけを干物にすることもできるんですよ。そうすることで私は日本に魚の旬を取り戻したいとも思っています」。そんな『高橋水産株式会社』が製造する旬の干物たちは、今や全国に名を知られるブランドとなり、東京の有名レストランでも『豊後水道の干物』としてメニューに登場。さらに舌の肥えた芸能人や著名人も虜にしているという。そんな人が手を加えただけの価値を、天然の魚に与える高橋さんたちの仕事は、佐伯市米水津の小さな漁村に大きな光を灯していた。
「ここ米水津には平地が殆どなく、かつて産業といえば漁しかありませんでした。しかしそんな厳しい環境がハングリー精神を育み、今は15の水産加工品会社がそれぞれ創意工夫を施し、この地区を大分の水産加工品の一大拠点として発展させることに成功したんですよね」。そんな米水津の水産加工品会社たちは、意外にも共存しようとするのではなく、あえて競争することで各々業績を伸ばしてきたという。
「魚は素材の良し悪しで競争できないんですよ。関アジ、関サバといった稀有な例もありますが、基本的にどこで獲れたサバが、どれぐらい美味しいかという基準なんてありませんよね。やはりそこに付加価値を付けるという発想がない限り、人との差別化、他地域との差別化はできないと思うんですよ。じゃあ付加価値をどのように付けるのかというと、絶対に必要なのが情報ですよね。都会の人々が、どのような商品を欲しがっているのかということが分からない限り、我々は付加価値を付けようがないんですよね。そして、そんな情報をこの地域では隠しながら取るという伝統があるんですよ。人は安易に情報が入ってこないと分かると、自分で手に入れようと努力をしますよね。そうすると他人から簡単に入ってくる情報なんて大したことがないということが分かってくる。ですから隠されると本当に自分に必要な情報を探す能力が鍛えられるという訳です」。高橋さんは水産品加工会社が互いに競争することで、佐伯市米水津の人口が昼には倍になる程栄えたと胸を張る。そんなかつて漁しか産業のなかった厳しい環境で生まれた高橋さんたちの哲学は、情報化社会を生きる者の在り方を示していた。
「例えば行政から入ってくるような情報は、皆を幸せにしなくてはいけませんから、かなりリスクの少ないモノなんですよね。それはあまり儲けに繋がりません。もっとリスキーでチャレンジしたくなるような情報こそ大事なんですよね。そして、そんな情報は決して他人に漏らしてはいけません。共存共栄ではなく、競争の原理を働かせないと人は伸びませんからね」。現在、米水津にある水産加工品会社の平均的な年間の売り上げは、従業員一人あたりに換算すると1千万円程度。例えば約50人が働く『高橋水産株式会社』では5億円を超えるという。そんな競争の原理によって会社を発展させてきた高橋さんの座右の銘は、自らの名前、治人にちなんだ『修己治人』という言葉。『人を治める為には、まず己を修めよ』という自らを律するかのような言葉だった。
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