厳選した地元の旬の食材で客をもてなす洋食店『美咲亭』のオーナーシェフ、山並辰巳さん。『JALリゾート・シーホークホテル』の総料理長を務めるなど、長年、ホテルレストランの最前線で活躍した後、2009年に独立。糸島の地に自らの店を開き、本格的なホテルの味をリーズナブルな価格で提供している。
「熊本に始まり、東京、沖縄、福岡と、長年、ホテルで仕事をしてきましたが、やはり料理人にとって自分の店を持つことは夢だと思うんですよ。そこで、60歳を前に小さい頃からの夢を叶えようと、故郷である天草に似ている環境の糸島に店を開きました」。『美咲亭』では、米は地元産『前原大門ひのひかり』、野菜は糸島と天草から季節の旬のモノを取り寄せ、肉は熊本県産の幻の鶏『天草大王』や天草の『梅肉ポーク』を材料に。そして、魚は『糸島船越漁港』直送の、その日に獲れた魚介類を仕入れているという。
「料理は生き物ですから、同じように調理しても違いが出るように、素材によって調理のタイミングが様々に違います。そんな中、時には千人、二千人と大勢のお客様を相手にするホテルでは、時間をかけて準備をしないと間に合いませんから、すべての素材を最良のタイミングで調理することが難しいんですよね。しかし、自分の店ではそれが出来ます。例えば僕は、料理の出来上がる瞬間に野菜をサッとお湯にくぐらせるのですが、そのおかげで『美咲亭のお野菜、美味しいよ』と言ってくださるお客様が多いんですよ。いまが旬の新鮮な素材を仕入れ、最良の瞬間、瞬間を見逃さずに勝負する。そこが一番楽しいですよね」。料理も...さらに私生活でも最良のタイミングを見逃さないように、まず行動することを忘れないという山並さん。そうして起きた『失敗』には、『けいけん』とフリガナをふると笑う。
「いま流行している『いまでしょ』という言葉ではないのですが、僕は『Just Do It=即、動く』ということを非常に大事にしていますね」。そんな山並さんは横浜ベイスターズの選手たちの料理を担当した際、美味しいだけではなく、様々な形で体に良い影響を及ぼす料理を作ることの大切さを痛感し、野菜ソムリエと食育指導士の資格を取得。日々、子どもをもつお母さんたちに食育の大切さを伝える活動も行っているという。
「食育には野菜は何種類食べなさいとかありますが、僕は栄養士ではなく料理人ですから、どう調理をすれば食材を無駄にしなくて済むのか。そして、どう調理をすれば体に良い料理を作れるのかということを、お母さんたちに教えています。食材の大切さを伝えることや、食を通じて健全な体の育成をお手伝いすることは、料理人の責任でもありますからね」。そんな山並さんが料理の腕を振るう『美咲亭』には、いつも大勢の家族の笑顔が広がっている。
「僕が料理の価格をリーズナブルに抑えている理由は、自分の中で水のようにありたいと思っているからなんですよ。どういうことかというと、例えば川の源流に行ったら水滴みたいなモノですから、それをコップ一杯溜めようと思ったら大変ですよね。逆に一番下の河口まで行くと、海の水と混ざって塩辛くて飲めませんよね。そうすると川の真ん中あたりの一番、流れが緩やかな所で、なおかつ水がキレイな所でしたら、水も汲んで飲めるし、生活もしやすいし、生きやすいですよね。僕は人の生活も同じだと思うんですよ。ですから、この店は川の真ん中でありたいと思い、家族が4人、お父さんとお母さんと子どもが来て、お父さんがビール一杯飲んでも5千円以内で料理を楽しめるように価格を設定しています。僕らは2万円、3万円というフランス料理などをたくさん作って来たのですが、それでは年に何回も食べられませんよね。そうではなく、僕は細くても、ずっと繋がっていける商売や仕事を理想としているんですよ」。それは年に数回の晴れの日の料理ではなく、日常の生活に寄り添う料理。町の洋食屋さんとしてある山並さんの料理は、それでいて食べた人に、晴れの日の感動を与えてくれるモノだった。
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