明治43年に建てられた熊本県山鹿市にある芝居小屋、八千代座。桝席、廻り舞台など江戸時代の歌舞伎小屋の様式を現代に伝える八千代座は、昭和の高度経済成長期に、日本全国の多くの芝居小屋がそうであったように、閉鎖に追い込まれてしまったそうだ。そして、平成の時代を迎え、多くの山鹿市民の力によって復活することになった。この八千代座を管理する石橋和幸さんは、そんな八千代座復興に尽力した人たちの物語を教えてくれた。「最初は、この八千代座をよく知る、山鹿の老人の方たちが中心となって、瓦1枚運動という募金活動を始めたのがきっかけでした。そして、講演に来てくれた永六輔さんに老人がこんなに頑張っているのに若者は何をやっているのかと叱責され、青年団を中心とした復興運動へと広がったのです」。そして、復興に向けた初めての芝居興行の準備をする中で、様々なドラマがあったそうだ。「市議会では、八千代座を壊して再開発する案があったそうなんです。八千代座を若い者が使うって言ってるけど、誰が一体許可したんだって、それが問題になる。当時のメンバーは、とにかくそれでは困ると、様々な所をたらい回しにされながらも、直談判するために奔走したんです」。八千代座を管理する教育長〜市議会議長〜消防署長と廻り、消防法をクリアするために、「十カ条くらい書いて行く訳ですよ。例えば、誰と誰と誰は、水バケツを手に持った状態で、公演の間、ず〜と立ってますと。そしたら消防署長が分かったと言って、じゃあ俺が消防車を、その日は横付けしといてやるとからやれと」。その後も、芝居を行う劇団の座長が体調を崩し、芝居自体を行うことが難しくなってしまったり、天皇崩御により自粛ムードが高まったりと、数々の困難が、この八千代座を襲ったそうだ。しかし山鹿市民の熱意により芝居興行は大成功に終わる。最後に、石橋さんはこんな話をしてくれた。「何が一番宝物かと言うと、そういう長い歴史の中で色んな人達の想いが詰っているんですよね。昔は想いが詰っている建物が一杯あったと思うんですけど、全部なくなっていってしまった。だから、八千代座を残すっていう事は、前の先輩達の想いを引き継いでいくって事になると思うんですよね。それが一番大事だと…」。八千代座では、これからも色んな芝居が上演され、それに人が笑い、感動し、涙し、また新しいストーリーが生まれていくだろう。しかし、八千代座のドラマは、復興までで終わりじゃなく、これからも続いていく。
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