匠の蔵~words of meister~の放送

2014年総集編(1) 工芸編 匠:
2014年12月20日(土)オンエア
2014年に取材した匠たちの輝く言葉を振り返る。今回は工芸の分野で活躍する匠。

まずは、今年の夏に取材した、伝統ある『奈良筆』の技術を受け継ぐ『筆工房 楽々堂』の筆職人、御堂順暁さん。『願教寺』の住職でもある御堂さんは、今から千二百年以上も前、唐に渡り筆作りの技法を極めた空海が、日本に持ち帰ったことが始まりとされる『奈良筆』の本場で、名工、大田研精氏に師事した後に大分県杵築市に帰郷。作って楽しく使って楽しい筆を製作したいという想いを工房名に込めた『楽々堂』を開き、日々、仏に仕えながら、心と魂を込めて筆を製作しているという。
「筆は初心者用を作るのが一番難しいんですよ。要するに小学生や中学生に使ってもらうような初心者用の筆は、単価を安くしなければなりませんので、値段の安い原料を使わないといけないんですよ。しかし、そのような安い原料を使っても、そこそこ書けるように、道具として使えるように作る為には、高い技術が必要とされるんですよね」。そんな御堂さんは、現在は殆どの筆が、工場で流れ作業によって作られているが、それでは本当に良い筆を製作できないという。
「私は常に使う人が持っている技術より、少し上のレベルに合わせた筆を作るようにしてるんですよ。例えば初心者には中級者に届くか届かないかというようなレベルの筆を作るんですよ。最初から悪い筆で練習すると、その人は自分の腕のせいで、きれいな字が書けないと勘違いしてしまいますからね。筆先が割れたり跳ねたり、まとまりの悪い筆できれいな字が書けなくても、それは腕が悪いのではなく、間違いなく筆が悪いんですよ。少しでも良い筆に替えると、初心者でも本当にきれいな字が書けるようになりますから、そうすると書道も面白くなるじゃないですか。ですから私は、道具は人間の努力を妨げないことが基本にあるべきで、さらに、その人を上のレベルに引っ張って行くような力を持っているべきだと思っています」。何より使い手が、どんな場面で、どんな字を書くのか想像して製作し、さらに、その人のレベルに合わせた最良の筆を提供する御堂さん。だからこそ御堂さんの筆は、多くの人々に最良の一本として、愛用され続けている。

続いては、こちらも夏に取材した、鹿児島県南さつま市の緑豊かな金峰山の麓に『矢杖空間舎 麓窯』を構える陶工、田島修次さん。『萩焼』の流れを汲む陶工、田島修次さんは、用の美を追求した器などの他、作家性の高い作品も創作し、数々の賞を受賞。百年前に途絶えた『川辺焼』の復興にも尽力する。
「作品を創作する場合、一つのモノの中に様々な調和が存在すると、非常に存在感が出てくるんですよ。例えば、大きな口をした壺の高台(底)を狭くする。その緊張感はすごいですよね。そのように相反するモノを調和させるコトによって、存在感が増してくるんです。世の中にも男性と女性がいて調和しているように、相反するモノを大事にしたら、非常にすごいモノが生まれるんですよね。逆に一つのモノだけが際立った作品は、非常に単調で面白くない。ですから何事も様々な調和があるからこそ、そこに言葉では説明できない、複雑さやコクというような存在感が生まれるんだと思います」。それは決して白と赤が混ざり、ピンクになるというような調和ではなく、一つひとつの個が、しっかりと確立した上での調和であるという田島さん。しかし、その個性を混ぜることなく調和させる技術とセンスは、一夕一朝で身に付くモノではない。
「何事も、いわゆる小手先ではダメなんですよね。例えば陶芸にしても、2年間毎日、向き合っていたら、誰でもある程度は作れるようになりますよね。しかも10年、20年経ったら、どんな人もベテランですよね。ですからその先は、その人がどう暮らしてきたのかが大事になってくる訳ですよ。毎日の積み重ねなんですよね。ですから、一つひとつを丁寧に暮らしていけば、多分、イイと思うんだけど、その為には、どこで暮らすかとか、どういう人と暮らすかとか、そういうのが非常に大事になってくる。やはりその人が選択していかなければならないと思います」。モノ作り世界では、『作品は自分自身だ』という人が多いが、それは優れた作品を生み出す為には、技術だけでなく、自らの生き方も大事だということを知っているからだろう。そんな自分自身の生き様をさらけ出す覚悟をもって生きてきた人の作品は、やっぱり人の心を打つ力をもっている。

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