匠の蔵~words of meister~の放送

我部祖河食堂本店【ソーキそば 沖縄】 匠:金城源治さん
2012年12月15日(土)オンエア
今や沖縄の郷土料理として定番となった『ソーキそば』や『野菜そば』の元祖の店として知られる『我部祖河食堂本店』の会長、金城源治さん。約半世紀も前に、当時贅沢品だった肉を少しでも多くの人に食べて欲しいという思いで、『沖縄ソバ』に甘タレでじっくり煮込んだソーキを乗せた『ソーキそば』を考案した金城さん。以来、持ち前のサービス精神と型破りな発想で、現在は沖縄県内に11店舗を構えるまでに店を成長させる。「戦後、まもなくして雑貨商と精肉業を始めたのですが、それが成功して車を買いました。当時、地方で車を所有する個人は少なかったので、村内で急患が出た時に病院まで運んだり、買い物客を家まで届けたり、車が店の宣伝となり繁盛しましたね。その後、貧しい時代ですから少しでも多くの人に肉を食べて欲しいと考え、余ったソーキの肉を煮付けて子どもたちに食べさせたんですよね。そうすると肉嫌いの子どもたちが皆、美味しいと言って食べてくれたんものですから、そのソーキを『沖縄ソバ』にのせてみようと考えた訳です」。そうして開業した『我部祖河食堂本店』には、以来、沖縄中の人々がバスに乗ってボリュームたっぷりのソーキがのった『ソーキそば』を食べに来るように。いつしか、その『ソーキそば』は沖縄の郷土料理として認知されるようになったという。「『ソーキそば』が話題となってからは、『近くに開店してくれ』という多くの要望が届くようになって、店を展開するようになりました。ただ、店を展開するようになって味が落ちたと言われたくなかったので、それぞれの店舗の味見は、今も欠かさず行っています。また、私は食事を残されることが一番、嫌いなんですよね。ですからお客様が残したスープなどは、汚いと言われようとも必ず味見をして、何故、残されたのかを研究しています」。飽食の時代となった現代、以前にもまして、味を追求し続ける金城さん。その成功の秘訣は、金城さんの生き方にある。「名護市にある沖縄ソバの店で成功した人はいません。私は成功したというよりは、ただ働いた分だけ頂いているだけなんですよ。朝の6時から晩の10時まで毎日、何十年と働いてきましたから、その時間を月給したら大きかったというだけなんですよね。ですから働いた分だけしか儲かっていないんですよ。私は働くのが大好きでしたから、それがよかったんでしょうね」。現在、85歳...しかし、今も元気に厨房に立ち続ける金城さん。誰よりも仕事が大好きで、誰よりも一生懸命に働いてきたその年月には、ただただ頭が下がる。「沖縄には、沖縄ソバの店が何百とありますから、常に他のお店に負けない味を作って提供すること。そして、感謝の気持ちをもって接客することが大事です。お客さんの『美味しかったよ』という言葉が、何よりも自分にとっての癒しですからね」。そんな金城さんの座右の銘は『ありがとうございまいた』。100歳まで現役にこだわる金城さんは、今日も客の言葉を励みに厨房に立っていることだろう。

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