沖縄県の伝統工芸品『知花花織』の染織作家、新門伊咲美さん。琉球王朝の大交易時代の流れの中で花咲いたという絣織物の一種『知花花織』の伝統を受け継ぐ『知花花織事業協同組合』で活動し、『知花花織』の伝統的なスタイルを保ちながらも、現代の生活にマッチした作品なども製作。その『知花花織』は、数々の品評会で入賞を果たしている。
「沖縄県には数多くの織があるのですが、琉球王朝時代から交通の要所として、王府・首里を守護する要地として栄えた沖縄市の知花には、古くから『花織』の技法が伝えられていて、『花織の里』とも呼ばれているんですよ」。その知花では、昔から旧暦の8月15日に『臼太鼓(ウスデーク)』と呼ばれる五穀豊穣を願う女性の祭りが開催されているが、『知花花織』は『臼太鼓』の奉納舞踊の衣装として、また芝居の晴れ着などとして地域の人々に愛されてきたという。
「『知花花織』は庶民の晴れの日の衣装なんですよ。その特徴は紋様が縦方向に連続して浮く『経浮花織(たてうきはなおり)』と、刺繍のように糸が浮く『縫取花織(ぬいとりはなおり)』にあります。絹糸で織られた紋様が浮くことによって光り方が変化するので、とてもキレイなんですよね。琉球藍で染められた紺色の生地に、白糸と赤糸で織られた紋様が浮くのが基本ですが、今は絹糸を天然染料で染色するなどバリエーションが増えて、色鮮やかな様々な紋様も登場しています」。現在、新門さんたち織り手の豊かなアイディアは、その紋様に留まらず、二次加工品の開発にも活かされているそうで、小物などの他、地元リゾートホテルの制服や沖縄市観光親善大使『ミスハイビスカス』の衣装デザインにも採用されているという。
「デザインを考える時などに、よく沖縄らしさって何なんだろうって思うんですよね。それを『知花花織』を通しながら勉強しているような気がします。もともと私は沖縄の歴史や文化に深く興味があったんですが、最近はそれを勉強していく柱として『知花花織』があるような気がするんですよ。最初は『知花花織』を織る為に色んなことを勉強していこうと思っていたんですが、もしかしたら逆なのかな〜て。私は地元の人間ですが、それでも知らないことが多くて、それを『知花花織』に教えてもらっているような瞬間があるんですよね。沖縄は琉球王朝時代のこと、戦争のことなど、様々な歴史や文化がある土地なんですが、それを言葉だけで伝えるのは本当に難しいですよね。でも形として残していけば興味を持ってもらえるかも知れませんよね。ですから私は『知花花織』を通して少しでも多くの人に、どんな土地なんだろうか、どんな歴史があった土地なんだろうかというのを知ってもらえたらいいな〜と思っています」。その『知花花織』が多くの人々を惹きつける理由。それはただ美しいからではなく、沖縄の歴史や文化、風土までもが、その一本一本の糸に織り込まれているから。そんな『知花花織』の伝統は、ただ技のみでなく、先人たちの郷土へ対する想いまでも一緒に、新門さんたちの手に受け継がれていた。
「地元が好きっていうのは簡単なんですけど、じゃあ何が好きなのって聞かれたら、やっぱり答えきれなくて。その答えが、今やっていることなのかな〜と思っています」。そんな新門さんは品評会などにも積極的に参加。『知花花織』を、そして沖縄をもっともっと知ってもらいたいと活動する。
「品評会などで評価をして頂くと、次も織ってイイんだと勇気をもらえるんですよね。そうして少しずつ勇気をもらいながら、これからも『知花花織』を通して自分が学んだこと、キレイだと思ったモノを形にしていきたいと思います」。パンフレットでは自らがモデルとなり『知花花織』の着物を艶やかに身に纏う新門さん。その姿は南国、沖縄の眩い太陽のように光輝いていた。
「私は『諦める』という言葉が好きなんですよ。『諦める』といえば、自分の願いごとが叶わず、それへの思いを断ちきるという意味で使われるのが一般的ですが、本来、仏教用語では『つまびらやかにする』『明らかにする』という意味なんですよね。ですから自分のやるべきことを『諦める=明らかにする』、そして、沖縄の歴史や文化を『諦める=明らかにする』気持ちで、一歩、一歩、『知花花織』と共に歩んでいこうと思います」。
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