昔、朝鮮半島から日本に連れて来られた技術者たちの末裔が多く住む、鹿児島は日置市東市来町。この場所で、雅で気品に満ちた白薩摩を中心に、歴史に磨かれた陶技が息づく作品を制作している「沈壽官窯」の15代目・沈壽官さん。沈壽官さんは、京都での修行から戻り、一人前になった気がしていた昔、お母さんに「トーストを1枚乗せるパン皿を焼いて欲しい」と、お願いされた事があるそうだ。たやすい事だと思った沈壽官さんだが、全く何の制約もなく、世界で一番大切に思っている人に、たった一つだけの気持ちを込めたものを贈る時、自分の作品が、過去の名品、ヒット商品のイイトコどりをしていた事に気付いたそうだ。そして、沈壽官さんが作るという事の本当の意味が分かったのは、それから少し後の事だった。「模様は模様を作らずという師匠の言葉があるんですが、誰かが一旦加工した物を再度加工しても、それはデザインになってない訳ですよね。何でもそうですけども、原点がある訳ですよ。自分自身が何に感銘を受けるのかとか、何に対して驚いたのかっていう、その感動をどうやって伝えるかっていう事が、私達の本来作業の訳ですよ。ところが、その原点の感動が無いのに、ただ売れる物作ろうとか、喜ばれる物を作ろうと思ったって、それは所詮、まやかしに過ぎないんんですよね。もっと言うと、その感じる心は、僕だけが感じる事が出来るモノじゃ駄目なんですよね。誰もが、皆が感じている事を、僕も感じなければ、人の心には届かないと思うんです。皆が言葉にする前の気持ちを僕も気付く。だからこそ、初めてその気持ちを込めた物が、皆さんの元へ届くと思うんです。だから、やっぱり普通の自分でいる事ですよね。そういう事を全然分かってなかったんで。分かった時は、お袋死んじゃってましたけど…。本当はね、何気なく普通に轆轤でパッと皿1枚曳いて、ハイ焼けたよって言って持って行ったら、何て事なかったかも知れないんですけども。でも、やっぱりね、息子にとってはやっぱ母親っていうのは、お父さんには悪いですけども、やっぱり格別なもんですから」。その後、沈壽官さんは、本当の意味で気持ちを込めたパン皿を亡くなったお母さんのために作ったという話を聞かせてくれた。久しぶりに母親に会いたくなる話だった。
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